私と鉄道模型の60 年 (10) — 松本謙一 東部のMikado達


■東部のMikado達―――松本謙一(日本鉄道模型リサーチ‐ A.B.C.)






家が1軒も見えない大西部の風景に憧れつつも、東部の鉄道も私にとっては常に悩ましい存在でありつづけては来ました。洋書の買い始めの初期にNYC(ニュー・ヨーク・セントラル鉄道)の近代蒸機の写真集を手に入れ、ハドソン(4-6-4)やモホーク(4-8-2)、ナイアガラ(4-8-4)の、小さい車輛限界の中に引き締めた体躯の疾走ぶりに魅せられたことと、最初に手に入れた大型連接機がC&O(チェサピーク・アンド・オハイオ鉄道)のアレゲニー・クラス(2-6-6-4)で、それがきっかけでアパラチア山脈の運炭系鉄道にも興味が及んだこと、戦闘機で一番好きなP51Bに雰囲気の似たペンシーのデュプレックス、T1に惚れ込んだことなどが先導役となって、実際網の目のように張り巡らされた鉄道網をアミダ籤のごとく辿っては、つい興味を拡げてしまいました。



気が付いてみれば、シカゴ以東の中堅以上の鉄道で、自分のコレクションの中にまだ1台も蒸機の模型を持っていない、というのはDT&I(デトロイト・トレド・アンド・アイアントン鉄道)だけとなっていましたが、これはまだ製品化されたものがないのだから仕方がありません。しかし、この鉄道はかの自動車王、ヘンリー・フォードが経営した鉄道で、そのMikadoは洗練された傑作です。



ちなみにカブースのコレクションでは、執念で、これらの鉄道をすべてカヴァーしました。多彩な顔ぶれを楽しむ、ということでは、シカゴ以東の鉄道は、流線型蒸機あり、キャメルバックのような奇怪な罐あり、そしてギヤード・ロコも多彩、しかもカブースはデザイン豊富‥と、眞に興味尽きません。



東部の有名鉄道で、中堅クラスの蒸機にMikadoを全く採用しなかったのはN&W(ノーフォーク・アンド・ウエスタン鉄道)とWM(ウエスタン・メリーランド鉄道)だけです。運炭鉄道として名高いこの2鉄道が全くMikadoを使わなかったという、これも面白い事実ですが、このほかの鉄道は軒並みMikadoを採用し、Mikadoが主力だった、保有した最大機だった、という鉄道も結構ありました。



日本では、米国型というと、UPから入り、GNのように派手なヘラルドの鉄道に注目されるファンが普通で、東部の鉄道ではC&Oのように超大型機が目立つ鉄道のみが関心を持たれがちですが、実は東部はライバル同士、あるいは地域ごとの網の目の縦横関係で眺めると、興味の尽きるところがない、面白い世界です。



今回は、そうした東部の鉄道から、いくつかのMikadoをご紹介しましょう。







■ NYC H-10b



ニュー・ヨーク・セントラル鉄道のMikadoは、先に紹介したH-5シリーズから、やや大型化したH-7シリーズを経て、1922年、H-10シリーズに進化し、決定版となる。Lima社の主任技師、William E. WoodardによってH-7から設計改良されたH-10試作機は従来シリーズより、重くなったものの、それを上回る牽引力を示した。



この経験をLima社は直ちに、初のBerkshire試作機A-1に活かして、以後、同社のSuper Powerシリーズとして大成功を収めることになる。NYCもH-10試作機を大変気に入り、その年から翌年にかけてH―10aクラスとしてLima社とAmerican Locomotive社のSchenectady工場で、本社線用、子会社線用あわせて200輌の大量増備を行い、さらに間髪を入れず1924年、同じ二社で、一部を変更したH-10bを91輌造った。



H-10aとH-10bの外観上の主な違いは、H-10aで罐上に目立ったドライ・パイプがH-10bでは罐内に移り、エア・ポンプがフロント・デッキに置かれ、テンダーが3軸ボギー台車つきの長いものになったことである。エレスコ式給水予熱器を煙室前面に置き、煙突直後にはフロント-エンド式加減弁の箱がのるH-10の顔立ちはNYC蒸機の一時代を象徴するものとなっている。



H-10のHO製品は、古くはLMB社が鉄道模型社(元受は熊田貿易)に造らせているが、これはaとbの折衷。1980年代にはOverland Models社がa、b、両方を最初JP Models、2回目にはAjinに造らせ、PFM社は1981年にSKIにH-10bを造らせている。写真のモデルはPFM製を第2次大戦前の旧レタリング、旧番号で、子会社線“Big Four”(クリ―ヴランド、シンシナッティ、シカゴ・アンド・セント・ルイス鉄道)の所属機に仕立てたもの。







■PRR L-1s



FABの店頭で、顧客の一人、I氏から「自分の好きなペンシーがまだ一度も語られて居ない」と注文されたので、PennsyのMikadoも登場させよう。ただし素直なのは出てこない。第2次大戦中、余剰気味だったL-1sクラスを他の鉄道の輸送力増強に放出した際、近隣のLehigh & New England鉄道に4輌譲渡したものを再現したモデルをご覧にいれる。私は、こうした大鉄道から他の大鉄道へ、あるいは地域的な小鉄道への譲渡機にも大いに興味がある。



ペンシルヴァニア鉄道のL-1sは同じ鉄道の有名なPacific(4-6-2)タイプ、K-4sと共通設計で造られたMikadoで、まったく同じボイラーを使用しているほか、キャブ、足回り部品なども共通化して修繕のコスト・ダウンを図った。こうした標準設計の考えは1920年代半ばになってドイツ国鉄、30年代になって日本の国鉄や満鉄なども採用したが、ペンシーにおけるK-4s、L-1sの登場は1914年だから、この鉄道がいかに先進的であったかが覗える。



当時のペンシーは「世界鉄道の標準となる」と豪語しており、日本の車輛設計陣も内心大いに憧れたようだ。わが国鉄がペンシーから剽窃したものの代表はP-58コーチ⇒木造中型規格ホハ、P-70コーチとその台車⇒スハ32とTR23,などだが、南満洲鉄道ではK-4sがパシナのベースとなり、連京本線専用のへヴィーMikado、ミカシはL-1sを一回り小型化し、火室を通常タイプにしたものと見られる、ミカシも、それ以降の新造形式であるパシハ、マテイもキャブはK-4s、L-1sのデザインそっくりである。



ペンシーはまた、小刻みな設計変更をやらず、同一設計のものを大量に増備する点でも、米国では珍しい存在だった。L-1sは1919年までに574輌、K-4sは1928年までに425輌が自社Altoona工場とBaldwinで造られた。1形式としては、いずれの軸配置でも、U.S.R.A.統一設計を除けば米国最大記録である。L-1sは当初、ペンシー線路網の中央部分、アパラチア越えと北進してイリー湖へ、それぞれ石炭を出す役目に充てられたが、より強力なI-1sクラス2-10-0が登場してからは、主にアパラチア以東の平原部で一般貨物輸送に使われた。



L-1sはペンシー蒸機の中では地味な存在だが、さすが名機K-4sパシフィックの姉妹機だけあって、まとまりの美しい罐である。HOモデルの製品化はPFM社が日本のUnitedアトラス工業に発注した製品が有名で、7回生産を繰り返しているし、Railworks社、Oriental社がそれぞれ韓国メーカーに造らせたものもある。細かいパーツのうんぬんではなく、全体の印象把握でいえば、PFM-United製が断然優れているように私は思う。



実物写真では長大編成の先頭に立つ姿も沢山記録されているが、モデルの世界では、この機関車に関しては、私はなぜか、東海岸沿いの都市周辺で短編成の区間貨物を牽いている姿が再現してみたくなる。「再現したくなる」といえば、L-1sには、写真のL&NEへの譲渡機のほかに、AT&SF(サンタ・フェ鉄道)へも3輌が行っており、いつかまたPFM製の中古を入手して、そちらも作ってみたいと思っている。







■ C&O K-3-A



東部のMikadoで、NYCと外観の獰猛さを競うのは、チェサピーク・アンド・オハイオ(C&O)鉄道の連中だろう。この鉄道はアレゲニー山脈(アパラチア山脈の一部。アパラチア山脈は洗濯板状に褶曲した山脈群で、南北に走るいくつかの山脈が平行している)を越えて石炭を大西洋岸に出すことを主題にしていたので、Mikado(2-8-2)よりも2-6-6-2マレーを先に、山岳区間旅客用の4-8-2はMikadoと同年に導入した、という珍しいケースの機関車史を歩んだ。



この鉄道にあってはMikadoはむしろ平坦線用の機関車と位置づけられた。この鉄道はまた、旧南部連邦の盟主であったヴァージニアを本拠にしていたので、旧南部諸州で唯一の機関車メーカーであったAmerican Locomotive 社Richmond工場を大変ひいきにしていた感がある。Richmond工場は大型機の受注というと、通常Schenectady工場やBrooks工場が設計した製品の追加生産や分担生産を請け負うケースが多かった(日本へ輸出された国鉄8900形も、その例である)が、独自に設計した製品はテーパーの強いワゴン・トップ・ボイラーと腰を落としたキャブの組み合わせで、洗練された中に獰猛さをたたえた、一種独特の雰囲気をかもし出していた。その典型がC&OのMikado群である。



C&OのMikado群にさらに獰猛な雰囲気を加えたのは、煙室前面に複式コンプレッサー2基を吊った、“フライング・ポンプ”スタイルであった。従台車を外側台枠式にした近代的な形式は、K-2、K-3、K-3-Aの3形式に分かれるが、外観は互いによく似ていて簡単には区別がつきにくい。



製造年はK-2とK-3が1924年、K-3-Aが1925-1926年で、数もそれぞれ50輌ずつ、と勢力均衡している。テンダーはヴァンダービルト・タイプとレクタンギュラー(矩形)・タイプが見られる後年のつなぎ替えによるもので、3形式に共通している。



要綱で比べると、“へヴィー・タイプ”と位置づけられたK-3の方が、“ライト”とされたK-2より火床面積、ボイラー直径が若干大きいかわりに、K-2の方は従台車にブースターを装備していた。



これによって、本来“ライト”のはずのK-2の方が実際にはK-3より若干重くなっている。K-3-AはK-3の部分改良増備で、K-3よりやや重い。給水予熱器の種類も、K-2のほとんど、K-3全機、K-3-Aのほとんどがエレスコ式丸型を採用している。K-3-Aでは最終分のみがウォーシントン式のタイプBL(側面吊り下げ式の弁当箱型)があるが、3形式の圧倒的に多くがエレスコ式なので、「エレスコ式である」というのは3形式の識別点にはならない。



一番簡単に理解するなら、K-2とK-3は機番が1000番台、K-3-Aは2000番台で見分けがつく。(未塗装モデルでは、そうは行かないが、実物写真なら)HO製品はPFM社がUnited(アトラス工業)に、Key Imports社がSamhongsaに、それぞれK-3、K-3-Aの両方を造らせている。私はKey製を見たことがないのだが、PFM製はUnitedアトラス工業製品後期の秀作の一つ、といって間違いない。その分、中古価格も高いが‥写真のモデルは、そのPFM-United製K-3-A。







■ CNJ M-3s



私が紹介したい東部のMikadoの取って置きは、これ。キャメルバックではよく知られたセントラル・オブ・ニュー・ジャージー鉄道の最大機。U.S.R.A.のへヴィー・ミカドの火室を、同鉄道の沿線に産する低質炭に適合するよう、キャブの裾を切り欠くまでの限界一杯に拡げた設計(つまりキャメルバックと同じ動機)変更し、それをさらに逐次改良しつつ自社発注したもので、一部のものにはロング・ラン用に、機関車部と同じ長さのテンダーを連結していた。Mikadoの中で、テンダーの機関車本体に対する長さ比率では北米最長。その中央に、この鉄道の象徴であるニュー・ヨーク港の「自由の女神」のヘラルドが置かれている。



CNJも日本では従来ほとんど興味を持たれてこなかった鉄道なので、このモデルも発売当時、日本にはこの写真の1台以外、まったく輸入されなかったのではないか?同時に、普通容量の2軸台車つきテンダーの仕様も発売されたが、やはり、この特徴ある姿が魅力的。Overland Models社がAjinに造らせたHO製品が1987年に発売された。Overland社のHO蒸機は、このころから俄然洗練されたものになった。





【筆者からのお願い】この月例連載を始めてから、早くも1年近くになります。この執筆はFAB店主の趣味道への研究熱心に共感して、お引き受けしたものですが、私の無料奉仕ではなくFABがスポンサーになってくださり、そのおかげで私自身もさらに研究や資料収集が続けられています。すなわち、皆さまのFABでのお買い上げが、このサーヴィスをバックアップしてくださっているわけです。FAB店主とは、まだまだ、いろいろなテーマを話し合っています。今後ともFABへの恒常的なご愛顧をよろしくお願いいたします。