私と鉄道模型の60 年 (11) — 松本謙一 南部、南西部のMikado達


南部、南西部のMikado たち―――松本謙一(日本鉄道模型リサーチ‐ A.B.C.)






私が一台の機関車の模型を楽しむ過程は標準的には次のような経過を辿ることが多いようです。

1. 最初の出会いは写真集。いい情景、好ましい編成など。鮮烈な印象のショットが目の奥に刻まれると、その時から、それを模型で再現することができないか、と考えはじめます。特に洋の東西を問わず、重連運転や補機付き運転を発見すると、「これが何とか再現できないか?」と虫が動き出すのです。混合列車や何かの専用列車の先頭に立つ単機、というのも一方の好みです。実をいえば、私の頭の中は小学校以来、見続けてきた写真集や実物雑誌の中で出会った、そうした写真から出題された宿題で、まだまだ一杯なのです。



2. こうした宿題を一つ一つ消化するために、私の頭の中には問題の機関車の特徴―軸配置はもちろん、鉄道ごとのキャブや煙突デザイン、採用しているヘッドライトのメーカー別区別から取り付け位置の癖、テンダーの稜線の凹凸具合からテンダー台車の特徴をキーにした検索情報が記憶されており、模型店の店頭や広告の写真で、模型に出会えば、それが未塗装であろうとも、たちまち記憶の中の分解データーと照合されて、「これを買えば。あの宿題が出来ます」とはじき出してしまうのです。



この識別能力の訓練には、速成術はなく、日ごろから只ひたすら、なるべく多くの写真を繰り返し眺める、特にその機関車の真横に近いシルエットを何度も見る、ということの積み重ねに尽きます。そうしてデーターを集積しておくと、模型に出会ったとき、ジェット機の空中戦映画でロック・オンした時の瞬間にヘッドホンに信号音が鳴るのと同じように、頭に信号が点滅するのです。訓練していると模型を見た瞬間に実物写真で見た編成の方がイメージとして見えてくることさえ可能になります。米国の機関車については、特定の鉄道、地域に偏らずに満遍なく写真集を集めた、というのが、私の場合、結局広範な基礎知識と興味を持ち得たほとんど絶対の理由であり、同時にそれは「模型の課題に宿題の山」という、人生を送るにこの上ない歓びを与えてくれたのでした。



3. さて、ロック・オンした模型がゲットできると、もう一度本と模型を見比べる日々が始まります。模型という立体と写真という平面を同時に眺めることで、実物の往時へのイメージは更に膨らみます。やはり、いろいろな角度の光線に当てて眺めると、その機関車の特徴はより鮮明に見えてくるもので、ここまでくるとインターネットの情報も及ばない世界になってきます。



4. 同時に、走らせても遊びます。写真集の(時にはたった1 枚の!)、写真で気に入って永年恋焦がれた末に「巨万の富!」をつぎ込んで模型を手にしたのは何のためか、それはとどのつまり、自分の目の前でその機関車が動く姿を一目でも確かめたかったからです。「なるほど、あの写真の機関車がこちらへ向かってくる姿はこんな感じで、眼前を通過していくのはこう、遠ざかっていく姿はこう、とそれを検証したかったから模型にしたかったのです。ですから、あれこれと編成も替えてみたり、憧れの写真になるべく近い牽引力を持たせようと補重したり、と、試みるわけですが、その過程において、その機関車自体への理解は模型としての情報も含め、さらに膨らみます。



それなら現代ならCG の方が‥と思われる方もあるでしょうが、CG の技術は1シーンの数秒にHO が何百台と買える膨大な予算を掛けても、実感度において、まだまだ、われわれの鉄道にも及びません。あの映画「3 丁目の夕日」でいえば、石畳の路面を行く都電も、長い鉄橋を轟音と共にわたってくるC62 も、肩一つゆすらず、氷の上を滑ってくるような走りぶりを見せています。つまりは「地面を蹴っていない」からです。われわれの鉄道模型の価値は、ちゃんと大地を蹴る、というところですね。



5. いよいよ、その機関車のイメージが理解できてくると、ウエザリングでより写実的に、最初に感動を受けた写真の姿そのものに近づけたい、となり、その作業の過程の中で、汚れ一つ一つに、その汚れが出た理由を考えることになります。



つまり、私にとって、ウエザリングとは、単に車輛を汚すことでなく、その機関車が背負っている物語を語らせる、という文学的創作、模型に命を吹き込む作業なのです。



ここまで行きますと、私のプロジェクトは一応完熟となりますが、それには通常大変永い月日が掛かります。そういう宿題を同時並行で何百本と抱えているので、どれも途中段階では「仕掛品」です。そうした宿題の総合体と位置づけているのがレイアウトD&GRN 鉄道、ということもできます。そこでは車輛たちは米国鉄道史を演じる俳優たちであり、レイアウトはその舞台です。舞台の方もまだまだ製作中ですし、俳優の方も、化粧中もあれば衣装合わせの最中もあり、舞台稽古を始めているベテランもあれば、まだ俳優募集中の役もある、という具合です。



ただ、ひとつひとつの形式、時にはたった1 台の存在をテーマに永年宿題の解決を模索してきたおかげで、私には、一つの機関車として、飽きる、という気持ちが起こらなかったことは確かです。その原点はやはり、美しく編集された写真集を多数求めた、ということの尽きると思います。



昨今は「インターネットで資料は何でも取れる」と豪語される方も多いようですが、インターネットはあくまでも資料の羅列であって、資料は手に入っても、感銘度では美しく編集された本の演出力には遠く及びません。記憶には2 種類のタイプがあります。一つは知識です。大概の人は知識さえあれば行動はいつでも起こせるものだ、と誤解しています。ですから模型店も模型雑誌もハウ・トゥー記事がすべてを解決すると妄信するのです。



しかし、実は、行動につながる記憶のタイプは全く別なのです。それが「感銘の記憶」なのです。



ですから、模型店に出かけてさえ、やりたいことが見つからない人は「知識不足」なのではなく、「感銘不足」なのです。「感銘」だけはハウ・トゥーで得られるものでなく(それは「どうしたら女性が好きになれるか?」という質問と同じです) 自分で見つけるしかありませんが、強いて言えば、模型でも実物でも、写真集を何度も見て、とりあえず、気になる絵柄(理屈でなく) に登場している機関車なり車輛なりを見つけることでしょう。



「洋書は読めないから、自分では解からない」というのは食わず嫌いです。それが証拠に私の最初の気に入り機関車群決定は小学校の終わりから、中学に掛けて、まったく英語が理解できない段階で、夜な夜な洋書の写真を眺めていた中で形成されているからです。知識なんて、もっと後年、何とか一応の文法を覚え、辞書片手に読むようになってから「ああそうだったのか!」と理解したような具合です。



さて前置きが大変、たいへん、長くなりましたが、米国MIKADO 巡りのとりあえず最終回として、今月は南部、南西部のMikado たちを鑑賞しましょう。





■深南部のMikado たち



南部諸州でも。ワシントンD.C. とポトマック河を挟んだ対岸に位置するヴァージニアあたりは「アッパー・サウス」といい、このあたりはチェサピーク・アンド・オハイオ鉄道C&O ですとか、ノーフォーク・アンド・ウエスタンN&W とか、超大型蒸機のひしめいた鉄道が君臨していますが、さらに南の南北カロライナ、アラバマ、フロリダ、ルイジアナといった「ディープ・サウス」になりますと、日本にはほとんど知られていない、しかしちょっと気取りを見せた鉄道がひしめいています。



米国でも一番ファン人口の少ない地域で、(そういうところにも南北戦争以来の南北経済格差が現れています)、これらを題材にした鉄道書も模型際品もまだまだ少ないのが実情ですが、ブラスモデルでは丹念の探していくと、結構製品が出ています。そういうところが、少量生産も可能なブラスモデルの、実は大きな利点なのですが、いまブラスモデルが急速に過去の遺産になりつつある米国鉄道模型界では、今後はどうなるのでしょう?



この地域の鉄道は南北戦争での疲弊から、1920 年代まではU.S.R.A. 標準規格のLight 級Pacific、Mikado、Mountainを導入したところが軒並みですが、その化粧の仕方にはそれぞれでまた独自性を出していて、模型で比べるのも面白いものがあり、HO ではKey Imports が一時そのあたりで活躍しました。



そうしたディープ・サウスの鉄道で独自の機関車に最も気を吐いたのはサザン鉄道(SR) でしょう。ワシントンD.C. と深南部諸都市を結んだ“クレセント・リミテッド”の牽引機として、おそらく米国でもっとも優美な姿を誇った名Pacific、Ps-4クラスは、まさに深南部を代表する存在ですが、実はサザンには、このPs-4 と同じボイラー、キャブを使ったMikadoの名作も活躍しました。



Ms-4 という形式で、サザン本社線の115 輌のみならず、子会社のシンシナッティ、ニュー・オルリーンズ・アンド・テキサス・パシフィック(CNO&TP) 線) 向けにも43 輌、アラバマ・グレート・サザン線向けにも8 輌造られて、各線で蒸機終焉まで活躍した点でも、Ps-4 と表裏一体でした。私は全米のMikado の中で「優美」という点では、このMs-4 が一番ではないか、と感じています。






■Southern Railway Ms-4

Pacific 軸配置(4-6-2) の名作、Ps-4 クラスとボイラーやキャブを共用する姉妹形式。優美さでは米国のMikado 中、屈指と思われる。Ps-4 と同じ1923-1928 年にNos.4800-4914 の115 台が本社線向けに造られた。製作はアルコのリッチモンド工場、スケネクタディー工場及びボールドウィン。リッチモンドは1926 年に,子会社線であるCNO&TP 向けにNos.6320-6337の18台、同じくAGS線用にNos.6622-6629の8台、ボールドウィンもCNO&TP用に25台を造っている。HO での製品化は1978 年にPFM 社がSamhongsa に造らせたウォーシントン式給水予熱器つきとエレスコ式給水予熱器つきの両方、2007 年にPSC 社がエレスコ、ウォーシントン、両タイプの給水予熱器つきと本社線仕様、子会社線仕様の組み合わせで発売したものがある。写真のモデルはPSC 社によるCNO&TP 仕様でウインブル式誘煙装置つき。



Ms-4 は、HO ではちょっと古いところでPFM が1978 年にSamhongsa に、給水予熱器2 タイプ造り分けで製品化させた実塗装モデルがあり、ごく稀に中古市場に姿を見せますが、最近ではP.S.C. が子会社線仕様まで細かく造り分けたのが2007 年に発売されました。中でも子会社線CNO&TP 仕様は、Wimble 式と名づけた、この子会社線独特の、スライド式誘煙フードを、製品では初めて再現しました。実物はトンネルの天井を強い排気から保護するために考案されたものです。近年ではブラスモデルのインポーター各社とも、一人になるべく複数以上の仕様を買わせるよう、このように一風変わった変形機を入れてくるので、日ごろからどういう変形機があるのか、写真集などでよく勉強しておかないと、製造数も10 台以下など厳しく、見逃すおそれがあります。



実はサザン鉄道は、あまり知られていませんが、本線上に米国最急の47/1000 勾配をノース・カロライナ州のSaluda 坂に持っており、そのほかにもアパラチア山脈を縦走するように縫っていく勾配区間を各所に持っていたために、2-8-8-2 や2-10-2 も果敢に導入した鉄道でした。



その中で、最も目立つのは、世に“ サザン・トラクター“ と記録された一種の関節機関車です。これは通常の2-8-2 や2-10-2 の機関車本体のほかに、テンダーの足回りにも本体より動輪直径、シリンダー直径の小さい蒸機の走行装置一組をつけ、それを補助的に使って、低速でも構わないから一層の牽引力を得ようとしたものです。テンダーの方でも蒸気を使う分、機関車本体は、マレー複式の前部駆動装置が使うような口径の大きい低圧シリンダーにしたのが味噌で、一見荒唐無稽ながら、1915 年から1924 年まで7 輌が補機運用に使われました。



この珍奇な” トラクター“ もHO ではちゃんと製品化されています。WestsideModels が1978 年にSamhongsa に製作させたもので、軸配置は2-8-2+2-8-0。 これも“Mikado の変身” と見ることが出来ましょう。Westside が引退したのちの1981 年には同じものが、仲間のPSC からも少量売られたようです。



マクソンのコアレス・モーターを大小2 個使い、動輪直径の異なる前後の走行セットでギヤー比を変えている、という凝った設計で、これが実によく走ります。1 台の機関車が異なる動輪回転とヴァルヴ・モーションを見せる、というのは米国型蒸機の模型ではほかに例が無く、これはSamhongsa の数ある製品の中でも機構面での最大の傑作、と私は考えています。






■Southern Railway Ms-2

アパラチア山脈南部を縦走する勾配区間にマレー複式を本格導入する決断をする前に、サザン鉄道が在来機で何とか同様の効果が出せないものか試みたのが、この“サザン・トラクター”だった。1911-1914年に造られたMsクラス2-8-2に、古い2-8-0の足回りを配したテンダーを着け、機関車本体側を低圧シリンダー化することで、より大きな牽引力を得ようとした。「燃料、水の消費が進むに従って後部走行装置の粘着力が失われてしまううえに、後部シリンダーへの給気構造もトラブルが多く失敗作であった」とする説と、「とにかく1915年から本格マレーの増備が進んだ1924年ごろまで使われ、改造も7台に及んだのだから、後部補機として低速で限定した区間を往復する分には使い物になった」という見方がある。実物の性能はともあれ、模型的には63インチ動輪でワルシャート弁装置の前部走行装置と、46インチ動輪でサザン式弁装置の異なる動きが魅力満点。HOモデルは1978年にWestside ModelsがSamhongsaに造らせ、同じものが、Westsideが廃業した後の1981年にPSC社から再発売された。マクソンのコアレス・モーター2基を搭載しているので、実際よく走る。わがD&GRN鉄道では、同じ鉄道のLs-1クラス2-8-8-2を本務機に、この“トラクター”をバック運転の後部補機に使った貨物列車をしばしば楽しんでいる。




■南西部のMikado たち



ミシシッピ河を越えて、ミズーリ、アーカンソー、テキサス、オクラホマの、南西部に入りますと、大動脈はアチソン・トピーカ・アンド・サンタ・フェ鉄道、いわゆる“ サンタ・フェ鉄道“ が最も有名株ですが、地場の鉄道としてMikado を愛用したのはミズーリ・パシフィック鉄道、通称“ モーパックMopac”、セント・ルイス・サン・フランシスコ鉄道、通称“ フリスコFRISCO”, そしてミズーリ‐カンザス‐テキサス鉄道、通称“M-K-T“ が御三家でした。



同じ南西部でも対照的に、カンザス・シティー・サザン鉄道(KCS)、のちにサザン・パシフィック鉄道の子会社となったセント・ルイス・アンド・サウスウエスタン(StL&SW) 鉄道、通称” コットンベルト“、そしてテキサス・アンド・パシフィック(T&P) 鉄道は全く、あるいはほとんど、Mikado を採用しませんでした。



このあたりも、同じ地域でも個性が出る米国の鉄道の面白さです。



一部には丘陵のアップ・ダウンが連続する区間もあったものの、急峻な山越えには一番縁の無い地域だっただけに、この南西部御三家もまた重貨物牽引にMikado を重用した鉄道でした。



たとえばモーパックは動輪直径63 インチの2-8-2 をすべて“BK-63” という形式名に括っていましたが、総数は296 輌で、その内訳はライト・ミカド105 輌、へヴィー・ミカド191 輌に達していました。このうち、特に1921-1925 年にアメリカン・ロコモーティヴ社につくらせたNos.1401-1510 の170 輌は、U.S.R.A. 標準設計のへヴィー・ミカドをベースに、さらにボイラーの口径を大きくしたもので、非常に成功した機関車となりました。






■Mopac MK-63 Nos.1401-1570

ミズーリ・パシフィック鉄道、通称“モーパック”のへヴィー・ミカド。U.S.R.A. Heavy Mikadoの設計をベースにボイラー規格を更に大型化したものので、その後のモーパック大型蒸機のデザインの基礎を確立した。アルコの設計の緻密さがよく表れており、へヴィー・ミカドの名作の一つと思う。Hallmarkが1978年にDongjinにHO製品化させたのが唯一の市販モデルだが、こうした地味だが味わい深いプロトタイプまで製品化が及んでいるのがHOブラスモデルの大きな魅力である。罐モーター装備で走行は良い。(FAB注)後位のカブースに注意。キューポラの上にベイウィンドウ付きという珍品



フリスコもモーパック同様、ペンシーが割り当てを辞退したU.S.R.A. ライト・ミカドが回ってきて、近代的機関車の何たるか、に目覚めた鉄道でした。この鉄道では1919 年に33 台のU.S.R.A ライト・ミカドを受け取った(この鉄道だけキャブ屋根高さのかさ上げを要求したのはトンネルに無縁だったことを物語っている) のち、1923-1926 年に、U.S.R.A. へヴィー・ミカドをベースに、動輪直径を1 インチ増大して64 インチとした4100 クラスを65 輌もボールドウインに造らせました。そして1930 年には火室をさらに拡張し、罐圧も増大した4200 クラス10 輌をボールドウインに造らせるのですが、溶接組立ての3 軸ボギー・テンダー、外側台枠式先台車を持つ、この形式はボールドウイン製のMikado の中では最も洗練されたものとなりました。





■FRISCO Class4200

セント・ルイス・サン・フランシスコ鉄道、通称“フリスコ”が重高速牽引用に新造したへヴィー・ミカドで1930年にボールドウインでNos.4200-4219の10輌が誕生した。1930年は米国ではMikado新造の終末期で、それだけに外側台枠式の先台車、前デッキの左右にシールドで囲った複式コンプレッサー、溶接組立てのテンダー・シェルなど、洗練されたデザインとなっている点が特筆に価する。突出した煙室にはコッフィン式給水予熱器が内蔵されている。動輪直径も通常より1インチ大きい、64iインチとされている。さほどに有名な存在ではないが、米国のMikado史を語る上には、忘れたくない傑作である。韓国製ブラスモデルの初期である1976年にHallmark社がDongjinに造らせたHOモデルが唯一の製品化。罐モーターに換装すれば、牽引力のある、なかなかよいモデルで、実車の雰囲気は上手く再現されていると思う。



M-K-T は「最大機がMikado とPacific で終わった」という地味な鉄道でしたが、大きな赤白の盾マークを別板に仕立ててテンダー側面の中央に貼った姿の美しさと罐の手入れの良さでは目を見張るべきものがある、私は大好きな鉄道です。もっとも南西部御三家はいずれも、どの時代をとっても機関車の手入れが入念だったのは特筆すべきところで、カウボーイ衣装にも見られる伝統的な伊達ぶりの気風を反映しているようです。

M-K-T は1913 年から1923 年の間にのべ190 輌ものMikado を購入しています。最初のものはU.S.R.A. ライト級よりやや軽い程度のものでしたが逐次大型化しながら6 形式に達しました。もっとも途中で失敗作と認めたL-2-aクラス35 輌は全機一斉に廃車してしまうなど思い切りいいこともやっています。



この鉄道は最終的にLima 社製機関車を気に入り、Pacific もMikado も最後の購入グループはすべてLima からでした。フリスコがBaldwin,、Mopac がAlco、M-K-T がLima, と、気に入りの機関車メーカーのくっきり分かれているところも自主独立の気風の強さを示しているのでしょうか?とにかく南西部の鉄道の蒸機時代は、その個性を比べると興味が尽きません。

さて、その南西部の機関車たちのブラスモデルですが、これを供給したのがほとんどHallmark1 社だった、というのも、調べてみると気が着かれるでしょう。PFM とかも、少しつまみ食い的に製品をプロデュースしていますが、ほとんどはHallmark が日本や韓国のメーカーに造らせています。






■M-K-T L-2d

未塗装品が標準だった時代の米国型の魅力の一つは「塗ってみると忽然とその価値が表に出てくる」という、まさに「手を動かすモデラーの冥利に尽きる」モデルがしばしばあったことだ。このモデルもまさに、そうした存在の好例で、テンダー側面に別板を貼ったプラークにディカールを乗せた瞬間、忘れがたい存在に大変身する。超大型機もマレーも存在しないミズーリ‐カンザス‐テキサス鉄道だが、赤と白の盾形エンブレムは全米蒸機の中でも、美しさで一,二を争うものといってよいだろう。新旧のインポーターが林立し、韓国の新興メーカーも雨後の竹の子のように次々登場した1970年代なればこそ、このような知られざるプロトタイプの製品化も行われた‥もう二度と来ない時代の遺産ともいうべき製品の一つだろう。1976年にHallmarkがDongjinに製作させたモデル。同じHallmarkが日本のフジヤマに作らせたパシフィック・タイプ、H-3aと好一対のM-K-T主力機である。こうした初期韓国製モデルは生産数が軒並み500台、と多い割りには、なぜか中古市場にあまり出てこない。鉄道ごとの地元のファンが、他に製品が出ないため、手放さないのか、放出しても全国的人気が無いため、わざわざ売りに出さないのか、天賞堂のBig Boyなどよりはるかに入手難なのは面白いし、そこがコレクションの本当の愉快さなのだ、とも思う。



Hallmark はテキサス州でHall という姓の夫妻が地場の模型店として経営していましたが、ご主人が早くに亡くなってからは、夫人が永く経営して、米国の業界、趣味界では大層人気のある名物{おばちゃん} でした。



私も晩年仲良くしていましたが、「ミスター・マッチュモート!」という独特のテキサス訛りが今も耳に残っています。先年90 歳超で亡くなりましたが、NMRA がその直前に特別功労賞を贈っています。製品企画を立てるパートナーを上手につかんで、南西部の癖のあるプロトタイプを次々製品化した功績は、「このおばちゃんが出なければファン人口の少ない南西部のプロトタイプがこれほど製品化されることはなかっただろう」という感慨を持つほどです。



日本のフジヤマに造らせたM-K-T のPacific が名作ですが、韓国のメーカーで造った蒸機にも、走行系が一見稚拙のように見えて、実はよく走る、よく牽く、という不思議なところがあって、線バネ左右1本ずつで支えた独特のサスペンションは「粘着とは何か」ということへの理解を深めてくれます。米国でもファンの少ない鉄道ばかりのせいか、中古価格は大変安く、手を掛けて遊ぶには面白いのがHallmark 蒸機です。日本ではほとんど持っている人がいないだけに私には宝物です。