私と鉄道模型の60年(15)–松本謙一 米国型HOn の世界その2


私と鉄道模型の60年(15)- 米国型HOnの世界その2






ナロー・ゲージの鉄道模型とその変遷(2) 魅惑のK-27— 松本謙一(日本鉄道模型リサーチ‐A.B.C.)





Cumbres & Toltec鉄道No.463;まさか自分でK-27の生きた姿を写す日が来ようとは、初めてPFM製品に憧れた中学生のころ、思いも寄らなかった。1996-9 Cumbres Passにて 筆者撮影


Huckleberry鉄道No.464;ミシガン州北部Flintの公園で運転されているK-27のラスト・ナンバー。ここは罐の状態も良いが、客車のコレクションも素晴らしい。2005-9 筆者撮影



■私にとってのK-27



この60年間に数千種の蒸気機関車の写真を目にし、あるいは模型として手にしてきましたが、中に、私の趣味人生の方向性を決めた機種、というのもいくつかあります。



デンヴァー・アンド・リオ・グランデ・ウエスタン鉄道(D&RGW)の3フィート・ゲ-ジ線最初のミカド(2-8-2)、K-27クラスは間違いなく、その一つです。



幼児期、私が最初に好きになった蒸機のタイプは「ダイヤモンド煙突付」でした。小学校に上がるかどうかで、すでに「ダイヤモンド・スタック」という言葉を知っていたほどですから、その傾倒ぶりは自分でもかなりのものだったと思います。(もちろん、いまでも大好きで、ダイヤモンド・スタックの蒸機製品はHO、HOn3を問わず発売されたものの95%以上は持っているはずです)



これは明らかに、自宅の近所だった神田・交通博物館の「弁慶号」と、ディズニー漫画や西部劇映画に出てきた米国型4-4-0の影響です。



次に「長い煙突の機関車」というのに大変惹かれました。シルエットとして見たときに、やっぱり「汽車らしい」。これは、絵描きでもあった父の好みが伝染した部分も多分にあると想います。



ですから、小学生時代、「鉄道ピクトリアル」誌を見るようになっても、惹かれたのは東武の英国製4-4-0など地方私鉄の古典蒸機で、C62など国鉄制式機に興味を持ったのは中学以降でした。(今年夏のJAMコンヴェンションで、HO1067「私にとっての夢の日本型世界」を見ていただくと判ります)



それから、「木造キャブ」が好きです。これも、「弁慶号」「米国型4-4-0」以来です。



D&RGW K-27という機関車は、そうした私の好みを完全に満足するものでした。煙突が長く、木造キャブで、地を這うようなアウトサイド・フレームの腰の低さ。1963年でしたか、中学生の始めごろ、たまたま買ったMR誌の裏表紙、Pacific Fast Mail社の広告で、United製のHOn3製品で、そのサイド・ヴューを見たときは脚が震えたのをいまでも覚えています。



しかし、当時、前にも書きましたように、PFM製品というのは、天賞堂製以外、国内の通常ルートでは入手が不可能でした。しかし名著「Narrow Gauge in the Rockies」などで、実物写真を眺めるにつけ、K-27への想いは募るばかり。長い煙突に段つきドーム、木造キャブ・・いかにもボールドウィンらしい野暮ったさが西部も西部、まさにワイルド・ウエストのロッキー山中にこの上もなく似合うと感じるのです。



また、PFM-UnitedのK-27の雰囲気の捉え方が実に上手い。今日見ればシンプルな出来かもしれませんが、あの、腰を落とした、いかにもワイルド・ウエスト、という感じを強調してあって、これぞナロー・ゲージ、というエッセンスがきっちり伝わります。私はいまでもHOn3切っての名作と思います。



「何とかK-27を手に入れたい」と念願する年月が続きました。



24歳で結婚し、家業も忙しくなると実物の撮影からも少し遠ざかるかわりに模型熱がぶり返し、なんとか米国から日本製ブラスモデルを買ってやろうと、銀行に海外送金の手段を聞きまわり(インターネットとクレジット・カードで買える現在は夢のようです)最初に買った新製品はPFM製D&RGWのL-131、次に中古に手を出しての最初が同じくPFM製のK-27でした。ミズーリ州の田舎町にあった模型店のリストで見つけたのです。ついに10数年来の願いがようやく叶ったのでした。



Pacific Fast Mail / Modernized-Inboard cylinder;日本のユナイテッドがPFM社向けに造った、K-27初の製品で、過熱式、ワルシャー弁化以後の姿を描写している。1959年に100台造られたものは正面が丸型ナンバー・プレート、1963年に970台造られたものは角型プレート。両者とも米国ピットマン社製棒型モーターを使用している。1950年代、国産ではまだこのような細いボイラーに搭載でき十分なトルクを持つモーターが無かった。日本国内で驚異的といわれたカツミ‐安達製作所のシュパーブラインD51が発売される以前、米国向けにはすでにこれだけのレヴェルの製品が造られていたのだった。製品はインボード・シリンダーを持ちながら、実機ではアウトボード・シリンダーのNo.463にしか見られなかった動力逆転機とテンダーの“ドッグハウス”を持っている架空の姿になっているが、このモデルは米国のプロ・ペインターによってNo.454の実機を描写したものに修正されている。筆者が永年の思慕の果て、ついに入手できた最初のK-27。


その後も、私にとってK-27は惚れぬいた機関車であり続けました。中村精密による、Westside Models製品、Precision Scale製品、PFMの新製品、といったHOn3モデル、On3の名作であるPFM-Kodama製、P-B-LのSn3製品もいつの間にか3台。近年発売のダイキャスト製も含め、大小31台のコレクションに発展しています。BACHMANのGゲージ製品は大き過ぎて置く場所がないので我慢していますが、きっといつか買うでしょう。



そして、50歳も近づいた1996年の秋、ニュー・メキシコ州ChamaのCumbres & Toltec鉄道機関庫で、ようやく昇りはじめた朝日の中、薄煙を上げる実物のK-27を見たときの感動は、とても言葉に表せないものでした。強いていえば「ああ、生まれた甲斐があった!」としみじみ実感した瞬間、とでも表現したらよいでしょうか?それは永年の想像にたがわない、素晴らしい味の罐でした。



キャブに上り、木造の質感に触れ、午後には最高の光線のもと、標高3,000mのCumbres Pass駅構内でサイド・ヴューを写しました。最初のK-27の写真を見たとき、まさかその実物を自分が目の当たりにし、カメラを向けることが出来る日が来ようとは、夢に思いませんでした。K-27一つをとっても、自分は何と幸福な人生を持てたことでしょうか。



この趣味の素晴らしさは、「鉄ちゃん」などという、いかにも、頭の中身の軽そうな(実際、最初に使い出しだしたのは、頭の軽いプロ・カメラマンでしたが)言葉からは、本来雲泥万里の、しみじみしたものなのです。いわば、人生のバックボーンに染み込むような趣味。K-27は私にとって、それを教えてくれた機関車なのです。





■K-27とは



K-27クラスは1903年にBaldwin機関車工場が、D&RGW鉄道の前身、Denver & Rio Grande鉄道に15輌納入した米国国内向けナロー・ゲージ最初の2-8-2で、当時の形式は「125N」とされていました。機番は当初からNo.450-464で、これは最後まで変わりませんでした。



「ナロー・ゲージ/最初のミカド」というキー・ワードで連想されるのは、同じボールドウィンが1897年に日本鉄道に納入したBt4/6クラス、のちの国鉄9700形ではないでしょうか?



動輪径は日本鉄道Bt4/6の方が大きく、125Nの方は動輪も従輪も外側台枠、という違いはありましたが、Baldwinの営業担当者がD&RGの首脳や技術陣に2-8-2を売り込んだときには、きっと「ミカドの国に納めた2-8-2」の話をし、公式写真なども見せたことでしょう。



登場時のD&RG鉄道125Nの特徴は、Vauclain compound(ヴォークレイン複式)という、高圧シリンダーと低圧シリンダーを上下に重ねて、2個のピストンが同時に同じ動輪を押す機構を採用したことでした。これはBaldwinオリジナルの複式機構で、Santa Fe鉄道などが好んで採用し、日本では山陽鉄道などが試用しました。



Westside Models / Original -Vauclain Compound;K-27の前身、D&RG鉄道125Nクラスの原型。ヴォークレイン複式のシリンダーを持つ。1974年に中村精密がウエストサイド・モデルズ向けに1,250台製造した。これは米国のプロ・ペインターが仕上げたモデル。



しかし、従来の単式に比べてさほど性能の差が出るわけでないのに保守は手間が増えるため、いずれの鉄道でもまもなく単式に改造してしまいました。D&RGの125Nもその例に漏れず、1907年から1909年にかけて単式のステフェンソン式ヴァルヴ・ギヤーとスライド弁式シリンダーに改造されました。



この機関車が現場に配備されるや、乗務員たちは外側台枠のさらに外で回転する動輪のバランス・ウエイトが、悪路で機関車がローリングするたびに地面を叩くのではないか、と、ひやひやしたそうです。そんな走り振りから、この機関車には「Mudhen」という渾名がつきました。マッドヘンとはすなわち「泥の上の鶏」。日本ではバン、クイナと呼ぶ、大きな水かきで泥の上をペタペタ歩く水鳥の種類です。



ですから、いまでもロッキー・ナロー通はK-27のことを“Mudhen”と呼びます。



125Nでもう一つ珍しかったのは、米国内のナロー・ゲージ蒸機にあまり例を見ない、スローピング・バックのテンダーを持っていたことでした。これは125Nが当初、本線スルーの本務機でなく、Marshall Pass、Cumbres Passといった急勾配区間の補機が主用途に想定されていたためでした。つまり、使いもしない水を死重としてぶら下げながら勾配を登るのはもったいないと考えたのでしょう。しかし、これも列車単位の増大によって、125Nをむしろ本務機として使うケースが増えた事で、ほどなくレクタンギュラー(矩形)テンダーに改造されています。



1921年にD&RGはDenver, Rio Grande & Western(D&RGW)鉄道となり、続いて1923年12月に、この鉄道に所属する機関車の形式名称の改正が行われました。このとき、125NはMikadoのKを取り、それに動輪周出力の上2桁を組み合わせて、K-27とされました。



これと前後してD&RGWのナロー線に125N以来久しぶりの新製機が投入されました。American Locomotive製のK-28で、過熱式ボイラー、ワルシャート式弁装置を持つ近代機で、K-27はたちまち性能的に見劣りがしてしまいました。



ここでD&RGWはK-27の近代化工事を開始します。シリンダーを旧式なスライド・ヴァルヴ(弁)から、漏れの少ないピストン・ヴァルヴ式に換え、弁装置も保守に便利なワルシャート式に。ボイラーは単一径煙管の飽和式から、一部は大煙管で中に過熱管が往復する過熱式に改造されました。製造時から延長型であった煙室は切り詰められました。



ここに、上回りは段着きドームに木造キャブ、という19世紀調、下回りはピストン・ヴァルヴにワルシャート弁装置、という20世紀調のアンバランスが妙に面白さを漂わせる、世にもっとも知られたK-27の姿が出現したのでした。日本の9700形に最初から見られた側窓の十字格子は、K-27では逆にこのころは初めて登場しています。(9700形の格子は縦桟1本ですがK-27では2本となり。これもカントリー・テイストを醸し出しています)



Westside Models / Semi Modernized-Slide Valve;保守の面倒な割りに効果の少ないヴォークレイン複式はほどなく単式のスライド弁に改造された。その姿は1930年代初頭の全面更新、過熱式への改造まで続いた。No.460は過熱式、ワルシャート式弁化にもれて早期廃車となった4台のうち,1台だけ、複式コンプレッサー装備に改造されていたため、入換用として1940年ごろまで特異な姿で残っていた。モデルは1976年に中村精密がウエストサイド・モデルズ向けの885台を生産したものを筆者が塗装した。中村精密製K-27はこのモデルから、サガミ製カンモーターの採用やパイピングの細かさなど、グレードが格段にアップしている。




■更新後のヴァリエーション



初期の更新機はピストン式の弁室中心がシリンダー中心より内側に入った「Inboard」と呼ばれるスタイルで、シリンダー側面は裾広がりの傾斜を持ちます。Nos.454/456/458/461がこれに該当します。このうち、No.461以外の3台は煙室正面のナンバー・プレートがオリジナルの丸型がそのまま残されました。



後期の改装機は弁室中心がシリンダー中心より外側に出た「Outboard」と呼ばれるスタイルで、シリンダーの側面は裾すぼまりに傾斜しています。こちらの該当機はNos.452/453/455/459/462/463/464です。つまり、Outboardスタイルが多数派を占めたわけです。このグループはすべて正面ナンバー・プレートが角型に変更されています。このうちNo.462は外観からはわかりませんが、過熱式への改造は省略されました。



Pacific Fast Mail / Modernized-Outboard cylinder;前作から14年後の1977年、PFM‐ユナイテッドが再生産したモデルで、前作のインボード・シリンダー機に対し、アウトボード・シリンダー機を描写した。製品レヴェルも、サガミ製カンモーターを使う事でキャブ・インテリアを再現している。競合するウエストサイド‐中村精密製を意識したと見られ、かなり力の入った製品として登場した。700台生産されている。


Inboardスタイルは地を這うようなイメージが強調され、Outboardスタイルは弁室がランボードから大きく飛び出して、肩を張ったように見え、それによってナロー・ゲージらしい脚のすぼまりが協調されるので、私の見るところでは甲乙つけがたい魅力はあります。



この近代化改装の途上、米国の経済は大恐慌に突入し、鉄道の輸送量も激減した事から、多くの鉄道で老朽機関車の一斉淘汰が行われました。D&RGWも例外ではなく、多くの小型機に混じって、未改装の4台のうち、Nos.450/451/457はこの時点で廃車となり、ブレーキ装置までは近代化されていたNo.460のみが入換用として1939年初頭まで残されました。





■戦中、戦後のK-27とRGS、メキシコ国鉄への譲渡



1941年の前半、米国が日本との戦争に突入する直前にD&RGWの蒸機の外観には、時代区分となる、大きな変化が見られました。テンダー側面への、今日、“Flying Rio Grande”と呼ばれる、新スタイルのロゴの採用です。従来の「ボタン型」と呼ばれる紋章とフルスペルの鉄道名表記から、大きなRio Grandeの文字が後方へ傾斜した、おなじみのものに変わったわけですが、K-27の古めかしい外観に、これも不思議に違和感は出ませんでした。



(米国のナロー・ファンにすら、新スタイルの方に圧倒的な人気があるそうです)
このころになると、D&RGWナロー線もメイン・ルートには特大のK-36、K-37が磐石の体勢を敷き、11台のK-27の働き場所はDurangoから北方へ伸びる、勾配の少ないSilverton支線と、やはりDurangoから北方、Ridgewayで再びD&RGWに接続するRio Grande Southern鉄道(RGS)への貸し出しに変わっていきました。



Westside Models/ Modernized-RGS No.455;リオ・グランデ・サザン鉄道に譲渡されたNo.455は第2次大戦末期にエアー・ブレーキの故障から33/1000下り勾配を暴走の末、脱線転落、大破してしまった。その修繕に当って、D&RGWの工場で、スタンダード・ゲージの小型機の廃材からキャブ、テンダーを流用され、全くイメージの異なる姿となった。当時、この鉄道は核爆弾原料を運ぶため政府によって借り上げられており、キャブの裾にはその表記が見られた。その特異な姿も1981年に中村精密がウエストサイド・モデルズ向けに製作した。RGSの末期はかなりたくさんのカラー写真が撮られている。写真のモデルは筆者がそれらを見ながら入念に塗装、ウエザリングしたもの。


RGSはD&RGWのSilverton線と同様、銀鉱目当てに敷設された鉄道でしたが、シルヴァー・ラッシュが去るとさびれ、この頃はD&RGWの傘下に入っていました。しかし、家畜輸送の繁忙期には列車単位が増大し、さらに第2次大戦突入とともに火薬の原料となる硫黄、さらには原爆開発に必要なウラニウムが沿線で産出したことで俄かに戦略路線としての価値が高まったのですが、木橋や線路の強度は、K-27が入線できる罐の限度、しかも連続33/1000の勾配で標高3,080mのLizard Head Passを越えていく、というハチャメチャなルートでした。



ここでK-27たちは本務機、中間補機、あるいは後部補機に、RGS自前の2-8-0たちと共に働き始めましたが、そのうち、No.455が1939年に、そのNo.455が大戦末期に脱線転落で大破すると、No.461が、RGSに長期で貸し出され、1950年には正式譲渡され、テンダーに、これまた美しいRIO GRANDE SOUTHERNのロゴをつけました。



Precision Scale / Modernized-RGS No.461;No.461は近代化工事の際、1台だけキャブを木骨鋼板張りとされたために、一目でそれと判る存在であった。腰板が窪まないため、ほかのK-27より、ナンバーが二まわりほど大きく書かれている。1950年にリオ・グランデ・サザンに譲渡され、この美しい鉄道の最後の2年間を主力機として過ごしたために、多くの名作写真にその姿を遺している。1982年、ウエストサイド・モデルズが廃業し、プロジェクトはオーナー同士が友人だったプレシジョン・スケールに譲られたが、このモデルはその直後に中村精密が製作したもので、HOn3では初めて、この特徴あるNo.461が製品化された。その後、各メーカーがK-27を造る際にはそれらの中には、この鋼板キャブ付きNo.461を入れるのは半ば定石になっている。残っている実機のカラー写真にはキャブ屋根に張った防水布が煤の下でかろうじて鉛丹色らしく写っているものもある。筆者塗装の、このモデルは、そのような観察を再現している。


また、1941年には、Nos.458/459の2台はメキシコ国鉄のナロー線に譲渡されています。この2台は何と、1950年にスタンダード・ゲージに改軌され、内側台枠の、まともな(?)姿になり、1960年代まで長生きしたようです。※FAB注:下記リンクに標準軌化された#459の写真があります
target=_blank>http://www.drgw.net/gallery/DRGW459/ndem_2250_lajunta_mx_17_mar_1962_000



戦後も家畜輸送の繁忙期には、Ridgeway庫にRGS、D&RGW取り混ぜ4,5台のK-27が屯する状況が続きましたが、そのRGSも1951年12月に廃線を迎え、翌年撤去作業に終了と共にRGSの2台は解体、DurangoやGunnisonの入換に残ったD&RGW機も1953年にはほとんど廃車となりました。



このうちNo.463は個人所有、Antonoto市での生態保存を経て、1994年、コロラド、ニュー・メキシコに跨るCumbres & Toltec鉄道に復活しました。一時盛んに運転されましたが、いまはボイラーが材質疲労したため休車となっています。



もう1台、現存しているがあまり知られていないのは、ラストナンバーの464で、こちらはロス・アンゼルス郊外の遊園地、ナッツ・ベリー・ファームに買い取られ、そこでしばらく運転されていましたが、横圧が急カーヴを傷めるため、放出され、いまはロッキーから遠く離れたミシガン州のFlintという片田舎の保養地の遊覧施設、“ハックルベリー鉄道”で活躍中です。



何しろデトロイトから片道3時間のドライヴ。湖岸の林の中をドッグ・ボーン型に1周しているだけで、勾配もほとんど無い路線ですが、木造客車はRGSオリジナルも入っており、乗り心地には素晴らしい感動があります。罐の状態も非常に良好のようでした。(ただ夏の運転期間中も繁忙日以外はDLが使われるようなので、事前に確認しての訪問が必要)





■K-27のモデル



冒頭にも書きましたように、米国鉄道模型市場で断然の人気があるといえば、このK-27のようです。何しろ、Nn3、HOn3、Sn3、On3(On2.5も!)、Fn3(G)と、すべてのスケールで製品化されています。



Division Point / Modernized-#456;10年ほど前に新たなブラスモデル・インポーターとして名乗りを上げたディヴィジョン・ポイントが2003年、韓国のBoo-Rimにインボード・シリンダー仕様4番号のみを25台ずつ造らせたモデルで1,500ドルに近い、HOn3としては破格の価格での発売だったが、瞬間に完売して「K-27人気」健在を証明した。現代風のディテール満載で、スケールどおりのサイズのマーカー・ライトが点燈する。機炭間の防寒カーテン、屋根天窓のアーチ状防雪被いなどはHOn3のK-27では初めての描写。


HOn3のブラス製だけとってもPFM-Unitedだけで2タイプ合計1,650台、中村精密がWestside、PSC向けに造った7タイプ、併せて2,000台以上、その後Sunset Modelsが韓国で造った安価モデル3タイプ(おそらく1000台)、PSCが1994年に韓国で生産した12タイプ(走行は素晴らしいが、キャブの寸法取りを間違えたのを折れ妻にしてごまかしているのでご注意!)、DIVISION POINTが2003年にマーカー・ライトが点燈するモデルを韓国のBOO-RIMでIn-boardタイプ4ナンバーで100台、総計でおそらく5000台からのモデルが世に出されているはずで、それに加えて、近年ではPSCがMountain Model Imports(MMI)ブランドのダイキャスト製を発売し、Sound Tracksがプラスティック製でDCC+サウンド装備の製品を継続的に供給しています。



Mountain Model Imports / Modernized-Inboard cylinder;中国製のプラスティックやダイキャスト製HO蒸機の売れ行き好調を見たプレシジョン・スケール社がダイキャスト・ボディーでHOn3ファン層の掘り起こしに挑んだシリーズで、「マウンテン・モデル・インポーツ」という別ブランドを立てている。近年の韓国製高級ブラスモデル並のスペックを盛り込んでおり、特に足回りの構成は1994年に同社が発売したブラスモデルの設計をほとんどそのまま使って、走行は秀逸。シリンダーのインボード、アウトボード、グリーン・ボイラー、No.461の鋼板張りキャブ、新旧ヘラルドなどの組み合わせを細かく造り分け、2007年に発売された。同じ年にサウンド・トラックス社も、プラスティック・ボディー、DCC仕様のK-27を似たような価格帯で発売した。


Mountain Model Imports / Modernized-RGS No.455;同じくMMIブランドのダイキャスト製K-27で、アウトボード・シリンダー機の1台、No.455が1939年に近隣のリオ・グランデ・サザン鉄道へ譲渡されたときの姿を描写している。実機は第2次大戦末期に脱線転落事故で大破し、全く違う姿で修繕されるのだが、この姿での写真も僅かながら残っている。


この異常な人気の理由の一つには、最初から近代的な設計で造られたK-28やK-36は番号による個体差が少ないのにくらべ、「古典機」といってよい時代に誕生して、近代化更新以後の過程でシリンダー部の形状が2タイプに分かれ、そのうえ1台1台に、配管やステップ、テンダーの補修痕など、特徴が見られるK-27は、元来機関車をグロスで見ず個体で認識するナロー・ゲージ・ファンの琴線に触れる、ということが想像できます。つまり、K-27は、知れば知るほど何台でも手元に置いてヴァリエーションを楽しみたくなるのです。



それにつけても、これほど、造っても造っても、供給過剰にならない形式、というのは、他にはUPのBig Boyぐらいのものでしょう。マイナーなナロー・ゲージの蒸機だけに驚異そのものです。(DIVISION POINTの100台などは瞬間完売でした)誰しもが、一度手にしたら、スケール変更か、死ぬまで、何台持っていようと手放したがらないモデル。それが「K-27」なのです。