私と鉄道模型の60年(16)–松本謙一 米国型HOn の世界その3


私と鉄道模型の60年(16)- 米国型HOnの世界その3






ナロー・ゲージの鉄道模型とその変遷(3) 多彩なロッキーナロー— 松本謙一(日本鉄道模型リサーチ‐A.B.C.)






■ 私にとってのロッキー・ナロー



私にとっての米国型の原点は、ダイヤモンド・スタックの古典蒸機、カブース、そしてオープンデッキの木造客車です。



これは天賞堂が発売元で、ニューワンモデルが製造していたHO製品と、交通博物館の庭先に展示されていた「弁慶号」+「開拓史」、いわば銀座と万世橋に挟まれて育った環境が大きく作用しているわけですが、そこに、小学校当時に衝撃の出逢いとなったジョン・アレンのG&D鉄道レイアウトの断崖のイメージが加わって構築されたのが、私にとっての夢の世界でした。



そういう世界が本当にある、ということを教えてくれたのが、ロッキー・ナローの世界です。その世界を立体的に見せてくれたのが、単行本の洋書を買うようになって数冊目で手にした『Narrow Gauge in the Rockies』でした。大型蒸機に関しての『Steam’s Finest Hour』と並ぶ、わたしにとってのバイブルです。



そこには、『Model Railroader』誌などのPFM社の広告に見るナロー蒸機たちの実物が美しい風景、そして奇想天外ともいえる線型を勇壮に走っている姿が満載されていました。やっと英語の文法の基礎を一通り習った程度の当時では、とても「読みこなす」までは行きませんでしたが、写真を眺めているだけでも充分、その世界に浸りこむ事はできました。



のちに知り合った「けむりプロ」の皆さんが称揚する、「等高線を素直に縫っていく線路の美しさ」を私に教えてくれたのもこの本でした。偶然にも「けむりプロ」の面々にとっても、この本はバイブルだったのです。(彼らの名著『鉄道賛歌』はこの本が原型になっています)



高い鉄橋での谷渡り、断崖にへばりついた線路、ひなびた駅風景‥私のレイアウト、「D&GRN鉄道」はスタンダード・ゲージが主体ですが、その線型や情景の構成はむしろロッキー・ナローをスケッチしているところが多々あるのも、この本の影響が大です。



この本がスタート地点となって、その後、ロッキー・ナローに関する本も沢山買いました。その数もいまや30冊をとうに超えているでしょう。



Narrow Gauge in the Rockies

Lucius Beebe & Charles Clegg 著

Howell-North Book 刊

D&RG、SilvertonにおけるMearsのショートライン、DSP&P、F&CC、URY、RGSなどロッキーを巡った鉄道を知るヴァイブル。D&RGのワインリストや初めて見ると腰が抜けそうなコークスクリューターンテーブルなど眺めているだけでも楽しい。初版は1958年。以後、ソフトカバーやハードカバーで何度か再版されているが現在は絶版となっている。ただしAmazonやeBayに送料込みで4000円~8000円くらいで大量に出ていて入手は容易。50年以上前の出版物だが、いまだに輝きは衰えてない


そして、この15年、何度かコロラドへ出かけては、現在も保存鉄道として残っている区間、廃線跡として辿れる区間を巡っては、これらの写真集で見た現役当時の光景と重ね合わせて往時を偲ぶ、という楽しみを味わっています。驚くことに、日本でいえば大正時代や戦前に廃線になった区間さえ、いまでも路盤がそのまま道路になっていたり、川の向こうに枕木まで残したまま続いていたり、往時の建物がそのまま残っていたりしています。そこを巡って、写真で見た、そのままの世界が眼前に現れる興奮は、私にとって、聖地巡礼の感動、まさに至福の時となっています。



そして、家に戻っては模型を眺め直して、「この機関車はああいう色の風景の中をはしいていたのか!」と、さらに愛着を深めるわけです。何と幸福な人生ではありませんか!



日本で米国型を愉しまれる方の多くが、本はあまりお求めになっていないのが、私には不思議です。本からイメージを拡げてこそ、その模型の背景が目に浮かぶようになり、はるかに大きなイメージを手に入れることができるのですから、模型だけやみくもに集めるのは実にもったいないことです。



ロッキー・ナローというと、日本ではDenver and Rio Grande Western鉄道ばかりが注目されていますが、実はロッキーにはかつていくつかの3フィート・ナローゲージ鉄道があり、それぞれに機関車や客貨車、カブースを持っていました。



それらの多くはHOn3のモデルとしてストラクチャーともども製品化されており、さらに驚く事は沢山の保存機、保存車、保存建造物が現存して、実際に対面できる、ということです。(Rio Grande Westernの貨車などは、いまでも集めれば数百輌に達し、鉄道が新たに開業できそうなほどです)さらにはSn3(1/64)、On3(1/48)でもかなりのものが製品化されていて、そうしたモデルのメーカー、販売業者、そして全米どころか全世界の米国型ナロー・ファンが毎年9月に集うのが、「Narrow Gauge Convention」です。



その熱気を支えているのも、ロッキー・ナローの鉄道の多彩さ、といえると思います。






■ それぞれに魅力あるロッキー・ナロー



日本のモデラーの不思議なところは、どんなジャンルでも「メジャー指向」というのがあって、軽便でさえも圧倒的に「木曾森」、アメリカに行けば「UP,GN,C&O」が「御三家」となってしまいます。もっと、個人個人、自分流に楽しめそうなものを探したらいいだろうに、と常々思うのですが‥(誰か、日本最大の軽便線だった「岩手軽便」をやらんかい!)



 アメリカン・ナローの世界でも人気のあるのは「Denver and Rio Grande Western 鉄道」ばかり。しかし、ほかにも「面白い、あるいは美しい罐や客貨車がいた鉄道あれこれがひしめいていて、それぞれ甲乙つけがたい魅力があるからこそのロッキー・ナローの楽しさ」と、私は感じています。



19世紀終わりから20世紀初頭にかけてコロラドロッキーを巡る鉄道はご覧の通りナローゲージのオンパレード。D&RGW本線(ただしナローゲージからの改軌)とコロラド・ミドランド(CMR:1917年に倒産、廃線)だけが標準軌だった。後にデンヴァーからグレンウッドスプリングス方面を短絡するモファットトンネルが貫通し、D&RGWのメインルートとなる。それにしても想像力と妄想を掻き立てる線路図である。




■Denver, South Park & Pacific デンヴァー、サウス・パーク・アンド・パシフィック鉄道 (DSP&P) /Colorado & Southernコロラド・アンド・サザン鉄道(C&S)



ロッキー・ナロー全盛時代といえる20世紀初頭でのコロラド州の鉄道地図を見てみると、本来ならロッキーの山々に阻まれて辺境のままあり続けてもおかしくない急峻な山岳地帯に、西部一細かい網状に鉄道が敷設されている事がわかります。これは、金、銀、銅、その他の鉱物を求めて人々が谷奥へ入り込み、それを鉄道が追っていったからです。



ロッキーの3フィート・ナロー・ゲージ網はこうして生まれました。



ロッキーといえば大森林もあるように想像して、さぞや森林鉄道も発達していただろうと考える方が多いのですが、コロラド・ロッキーには森林鉄道はほとんどありませんでした。皆無ではありませんが、極少数です。雨が少ないために、大木が育ち難く、針葉樹といえばブルー・スプルースなどの中型種が主体で、開発しても経済性が薄かったためです。



コロラド州の鉱山資源は主として東側のロッキー主嶺両側と、西南端でユタ州に近いサン・ファン山地に集まっていました。このうち、デンヴァーに近いコロラド・ロッキー東北角の鉱山地帯に木の根のように路線網を張ったのがC&Sのナロー線でした。(二つの鉱脈群の間は高原の牧草地が拡がり、牛と羊の放牧が盛んになりました。その移動でロッキー・ナロー各鉄道はそれぞれに大量のストック・カーも保有するようになりました)



このC&Sナロー線も大別すると2系統あり、元はCC(コロラド・セントラル)鉄道とDSP&P鉄道という二つの鉄道でした。



CC鉄道の方は、現在コロラド鉄道博物館があるGoldenからロッキーに分け入り、これも保存鉄道になっているGeorgetown Loopを越えてSilver Plumeへ、など数線を持ち、現在でも路盤跡や鉱山跡がかなり残って、デンヴァーからの手軽なドライヴで往時を偲ぶことができます。Silver Plumeでは2-6-0のNo.9や客車、Georgetownでは2軸カブース、などC&Sナロー車輌の現物も見ることができます。



DSP&P鉄道の方はさらに大掛かりで、先行したD&RG(-Westernの前身)鉄道が大きく迂回してもなるべくロッキー直攀は避けようとしたのを、こちらはデンヴァーのすぐ南からぐいぐいロッキーに取り付いて大陸分水嶺近くを縦走するルートを取りつつ、いくつもの鉱山町に支線を張り、最終的にはD&RGのテリトリーである州西部のGunnisonまで到達しました。



このGunnison線が大陸分水嶺の直下を潜った全長1,800フィート(およそ540m)のAlpineトンネルは標高11.940フィート(およそ3,600m)にあり、1880年から1895年までは米国鉄道の最高地点でした。現在は閉鎖されて久しいものの、窒息死した機関士の幽霊伝説もある、この長大トンネルに、時折、探検ツアーが行なわれているようです。



デンヴァーからそこに至る途中、Leadvilleへ向かう線との分岐点だったComoには美しい石積みの扇形庫が残っています。Model Masterpiece社のHOキットになり、私のレイアウトにも使っている、あの庫です。地図でこのあたりを見ますと、ストラクチャーのキット名やメーカー名になっている名前が続々出てきて、一帯がいかにロッキー・ナロー・ファンにとっての聖地になっているかもわかります。

*FAB注:Google MapでComo Coloradの石積み扇形庫が見れます。下記リンクの航空写真版に注目!

http://maps.google.com/maps/ms?ie=UTF&msa=0&msid=103371217825721124556.0004897eb132543f8ed02



DSP&P鉄道を有名にしている、もう一つは、この鉄道が旅客用に愛用した特殊機関車です。Mason Bogieとよばれる一種の連接式構造で、見かけは通常のフォーニー・タイプ、リア・タンクに見えるものの、主台枠が左右に首を振り、ボイラー側に設けられたリヴァース・シャフトとの間でヴァルヴ・ギヤーのリンク機構もスウィングする、というものです。急カーヴに向くだろうということで、ナローではこの鉄道にのみ多数納入されましたが、粘着力不足で急勾配には役不足、またボイラーの下に全くフレームの無い構造は傷みも早かったようで、1910年代初めまでにはすべて引退してしまいました。



しかし、アメリカの機関車全般がもっともカラフルに塗られた時代のものですから、模型の小品としては眞にエレガントで、古くからHO,S,Oの各スケールでブラス・モデルが造られています。ファクトリー・ペイントされたものは1998年に短命だったインポーター、Berlyn Locomotive Worksから発売されただけで、今となってはなかなか入手が難しいかもしれませんが、HOn3では2-6-6’Tの初期型がPFM-Unitedから、2-6-6Tの後期型と2-8-6TはBalboaから未塗装が出ていますし、ディカールはThinfilm製品にありますから、塗装に挑戦するのも楽しいでしょう。なお、後期型に付いている樽型煙突はGordon Stackと呼ばれるタイプで、実物はコロラド鉄道博物館にある2-8-0に見ることができます。



DSP&P No.15 “メイスン・ボギー”の初期型。か細いダイヤモンド・スタックをつけている。当初は極彩色に塗られていた。バーリン・ロコモティーヴ・ワークスという、短命に終わったインポーターが1998年に発売したHOn3モデル
DSP&P No.44 “メイスン・ボギー”の後期型で、やや大きくなった。この鉄道の標準装備となった“ゴードン・スタック”をつけている。これも“バーリン”によるHOn3モデル


デンヴァー郊外、ゴールデンのコロラド鉄道博物館にある元DSP&Pの2-8-0。ゴードン・スタックを遺した貴重な保存機
C&S No.60 C&Sナロー線の蒸機は重油焚き以外、すべて煙突に“リッジウエイ・スパーク・アレスター”をつけているが、キャブの側窓の取り方やエアー・タンクの位置、個数はさまざまで、1台ずつ特徴がある。モデルはキー・インポーツがサムホンサに造らせた1982年の製品
C&S No.69 C&Sナロー蒸機はHOn3ではいくつかのインポーターが製品化に挑んでいる。これはオーヴァーランド・モデルズがMSモデルズに造らせたもので、OMI唯一のナロー蒸機製品。1990年の作


C&Sの経営になって以後は小型の2-6-0と2-8-0が愛用されましたが、こちらは煙突の先端にRidgeway Spark Arresterという、長い落とし管つきの集塵器を標準装備にしていまして、これも一目でわかる存在です。罐の大きさは一様に小振りですが、2-6-0は0-10番代、20番代、2-8-0は50番代と60-70番代に大別でき、その各機も1台ずつ細部が異なるのを観賞するのがC&Sナロー蒸機の楽しみです。



従来、DSP&P、C&Sのナロー蒸機をHOn3で愉しもうとおもうと、モーターが小型のためになかなかナローらしい低速走行が安定しないという問題がありましたが、いまではコアレス・モーターの普及でその難問もあっさり解決しています。レイアウトをもっともコンパクトにまとめたいと思えば、カーヴ半径を抑えられるC&Sは最適です。



C&Sナロー線のもう一つの楽しみはカブースが可愛い2軸車だけ、ということです。



近年、Kadeeの兄弟会社、Micro TrainsがHOn3にも進出していますが、C&Sの貨車から製品展開を始めており、これも今後のC&S模型化には追い風です。



C&Sのナロー線はデンヴァーに近かった分、モータリゼーションの影響も早く受け、1940年代初頭にほぼ消滅しましたが、それがいまでもロッキー・ナロー・ファンの夢と追憶を誘っている魅惑のほどは、東のメイン2フーターと通ずるものがあります。






■Florence & Cripple Creek フロレンス・アンド・クリプルクリーク鉄道(F&CC)



この鉄道のことを知っている人は日本では極少ないと思いますが、機関車がナローながらに均整がとれ、美しいのは特筆に価します。



あとで紹介するRio Grande Southern鉄道(RGS)のNo.20(1899年Rogers製)とその姉妹たち、近年ファンのグループがDurangoの公園で荒廃していたのを見事動態に復活したNo.315 のDenver & Rio Grande Western C-18クラスはいずれも、元はこの鉄道の自社発注機です。



RGS No.20は西部劇映画『A ticket to Tomahawk』(邦題『彼女は二丁拳銃』に準主役格で出演していますが、プロポーションのバランスの好さでは、ロッキー・ナロー一番の美人と私は思います。いまはデンヴァー郊外のコロラド鉄道博物館にいます。「機関車大追跡」の“General”号、このRGS No.20。そして日本へ来た官鉄E7(国鉄7950形)、と、Rogers製古典機を並べてみると、前端梁に対して煙室は長過ぎず短過ぎず、煙突、ドーム、キャブなどの間の取り方、凹凸の取り方の過不足無い上手さがわかります。



D&RGW C-18クラスはBaldwin製ですが、D&RGWの内側主台枠2-8-0四姉妹のうちではC-16はコンパクト、C-17はドームの間隔が大きく開いて、ちょっとおとぼけ、C-19はみっしりグラマー、で、その間で、シルエットのバランスが一番きれいです。



D&RGW C-18 No.315 永いあいだ、デュランゴの街外れの公園に眠っていたのをファンのグリープが動態に復活した。元F&CCの罐。ロッキー・ナローに数多く見られた2-8-0の中で、シルエットがもっとも洗練されている。2009年9月のクンブレス・アンド・トルテック鉄道での特別運転。撮影;松本ちはる


実は昨年、偶然にも、この鉄道の線路跡をほぼ全線辿る事ができたのですが、その、深山幽谷をSカーヴの連続で延々と登っていく素晴らしさには驚かされました。



この鉄道はG&RGWの本線が名勝、Royal Gorgeに入るすぐ手前のCanon Cityの、そのもう一つ東の街、Florenceからほほ真北に向かって登り、コロラドで最後に金鉱脈が発見されたCripple Creek地区に至る30マイル余りのもので、1894年7年1日に開業しています。金鉱脈目当てに建設されたコロラドのナロー・ゲージ鉄道としては最後のものとなりました。



Cripple Creek地区は、実はデンヴァーのすぐ南の街、Colorado Springsから登ったほうが近く、実際、F&CC開業に続いて、Colorado Springsを起点にするスタンダード・ゲージのColorado Midland鉄道が子会社線を開業しているのですが、当時はFlorenceではまだDGRG鉄道の本線がスタンダード・ゲージと3フィート・ナローとのデュアル・ゲージになっており、建設費の安いナローで、しかも輸送量の大きいD&RGから貨車が乗り入れられる、というのは充分にメリットのあることだったのです。実際、自前の機関車、客貨車も用意しましたが、D&RGからの借り入れ、乗り入れも頻繁でした。



アーカンソー河の支流が刻んだ“Phantom Canyon”という渓谷を辿って、二つの素掘りトンネル、18の橋梁、そして最後に壮大なループ線で最初の鉱区、Victorに到達します。現在は未舗装の郡道となっていますが、Sカーヴの連続や素掘りの切通しなど、そのままレイアウトに取り入れたい場面の連続です。久しぶりに平地の現れるVictorはFABにも在庫しているLaBelleのHOn3の貨車キットの一つ、“Victor Gold Mine Gondola”の、あのVictorです。いまも史跡としていくつかの鉱山廃墟のやぐらが聳え立っています。



フローレンスからヴィクターまで、今も郡道として残っているF&CCの線路跡。2箇所の素掘りトンネルも3フィート・ナローの建築限界そのままだ


この鉄道の生涯はたった19年でした。ファントム・キャニオンに起こった洪水で橋脚のほとんどが9マイルの路盤とともに流失し、復旧の価値は無いと判定されたからでした。しかし、機関車たちはカリフォルニアのSPナロー線を含む、いくつかの鉄道に流れ、むしろ、それらでの活躍が多くの写真に残っています。この鉄道のカブースはコンパクトにまとまったオフセット・キューポラのボギー車で、Westside ModelsがHOn3とOn3で製品化しています。HOn3の方はちょっと珍品で、なかなか中古市場に現れません。






■Rio Grande Southern リオ・グランデ・サザン鉄道(RGS)



D&RGW K-27の回でも解説しましたが、現在走っているDurango & Silverton鉄道(元D&RGW鉄道Silverton線)の谷すじの、もう一つ西側の谷を辿って、D&RGWナロー線南部の終点であるDurangoと、北回りルート(元は中部ルートだった)の南端、Ridgewayを結んで、コロラド・ナロー・ゲージ・サークルを完成させていた別会社です。(もっとも、その歴史の大半はD&RGWのコントロール下にあったのですが、D&RGWが吸収合併しようとしなかったのは、地域寡占となって独禁法に抵触するからではなかったか、と想像します)



この鉄道を建設したのはOtto Mears(オットー・ミアーズ)という、ロシア生まれのユダヤ人で、西部を漂白ののち、山岳地域で鉱山相手に短絡有料道路を拓いては財を成してきた人物でした。



彼はその手法を応用して、D&RGのSilverton線終点であるSilvertonを起点とする三つのナロー・ゲージ鉄道を開業しましたが、そのうちの一つ、Silverton Northern鉄道で山向こうのD&RGの別の支線の終点、Ourayを結ぼうとしました。強引なスイッチバックで線路を登らせていきましたが、反対側に降りる段になって、どうにも傾斜がきつすぎてルートを策定できず、Ourayまであと8マイル、というところで断念せざるを得なかったのでした。(今日も彼のSilverton Northernの矩形庫がSilvertonに建っています)



彼はそれでも諦めずに、起点をDurangoに下げ、別の谷すじを通って標高10,250フィート(およそ3,080m)のLizard Head Passを越え、途中幾多の銀鉱山を結んでいく鉄道を1891年に開業しました。



会社設立からわずか2年で、断崖絶壁の中腹をジグザグに進みながらトンネルは一つも無く、斜面が尽きれば大木橋で反対斜面に飛び移る、という曲芸のような174マイルの路線を完成させたMaersのバイタリティーは驚くべきものですが、建設費が嵩み過ぎて、たちまち経営は行き詰まり、わずか2年でD&RGのコントロール下に入ったのでした。



しかし、実際にそのルートを辿ってみると、沿線風景のあまりの見事さは、Mearsは最初から観光鉄道を造るつもりだったのでは、と想像をたくましくしたくなるほどです。



両端のDurango、Ridgewayの付近に波状に広がる牧草地の丘、Vance JunctionからOphierまでの断崖絶壁に貼り付く区間と大木橋での谷渡り、雪山を背に静まり返るTrout Lakeのほとり、Lizard Head Passの高原湿地‥どこを切り取っても、そっくりレイアウトに嵌めえこみたくなるような情景の連続で、この小さな鉄道を題材にした写真集が繰り返し出版されるのもうなずけます。



実際、米国のロッキー・ナローのファンでレイアウトを指向する人々に圧倒的に人気があるのもRGSです。全米どこへいっても「ロッキー・ナローのレイアウト」というと、軒並み実在のRGS風景の再現です。「せっかくのロッキー・ナローなのだから、もっと自由に発想した架空の路線風景があってもいいだろうに‥」と、近年いささか食傷するほどなのですが、それだけ、RGSを超える絶景というのは考えるのが難しい、つまりRGSはレイアウトの題材として完璧なのかもしれません。



この鉄道の機関車というのは、C&SやF&CCとは反対に、すべて中古でした。その歴史の後半で活躍した罐だけでも、Nos.20、22、25の4-6-0三姉妹は前述の通り、元F&CC機、貨物列車の中堅機として働き続けた2-8-0のNos.40、41、42はD&RGWのC-19、C-17の同型機、最後に入った2-8-2のNos.455、461はD&RGW K-27、家畜輸送の繁忙期にはD&RGWのC-18、C-19、K-27が応援に入る、という状況でした。



こうした機関車の大きさの手頃さも、ホーム・レイアウトに格好と写るのでしょう。



家畜列車を牽くRGS No.20 秋になると高原に放牧していた牛や羊を麓の牧場に下ろす輸送でロッキー・ナローは大忙しになった。4-6-0のNos.20、22、25も2-8-0や2-8-2に混じって活躍した。写真のモデルはプレシジョン・スケール社1985年のHOn3製品にブラックストン・モデルズのD&RGWストック・カーを配したもの


RGSの車輌で、もう一つのスターは自動車型のレール・カー、“Galloping Goose”(駈けるガチョウ)でしょう。1931年に郵便郵送用にBuickのトラック部品でレール・カーを拵えてみたところ、「客の減った旅客営業もこれで充分ではないか!」ということになって、Pierce-Allowのバス部品を客室に、うしろの小荷物用のバン・ボディーをつなげた連接車体で増備を始めたものです。以後、この鉄道の終焉まで、定期の旅客営業はすべてこのレール・カー群でまかないました。戦後になると、この変わった車輌が観光客の人気を呼んだので、貨物室部分もセミ・オープンの通覧客車に改造し、サファリよろしく夏季には続行運転が繰り出されるほど、この鉄道最後の活況を呈しました。



RGS Goose No.4 ピース‐アローのバス部品を利用して造られた当時の“ギャロッピング・グース”の姿。運転台後ろの客席の常連は沿線に住むユテ・インディアンの女性たちだった。モデルは杉山製作所が造り、ランバート社が販売した1981年のHOn3製品


RGS Goose No.5 3台車タイプのギャロッピング・グースのほとんどは戦後、定員数を増やすために、まず客室部分をウエインのバス・ボディーに取替え、廃線近くには観光客向けに貨物室も遊覧用セミ・オープン・カーに改造した。これは1979年に杉山製作所が造り、ランバートが販売したHOn3モデル。


1951年12月27日、多くの鉄道ファンに惜しまれつつ、この愛すべき鉄道は営業を終了しましたが、多くの車輌は保存され、今日もコロラド鉄道博物館はじめ各所で会うことができます。日本から一番手近な場所はロス・アンゼルス郊外の遊園地、ナッツ・ベリー・ファームです。



模型製品化も盛んに繰り返され、今日、HOn3、Sn3なら機関車、ビジネスカー、カブース、除雪車、グースまで揃っています。HOスケールのグースに至っては、ついにプラスティックでもCON-CORから発売され、DCCでの続行運転も手軽にできるようになっています。



その多彩さは、実際、これら製品化されているRGS車輌を中古市場から全部集める、というだけでも、インターネットばやりの今日でさえ、「簡単だ、と思うなら、やってごらんなさい」というほどのものです。おそらく何年掛かる事でしょう。一つことでも、極めようと思えば、何事も簡単ではありません。







■Uintah ユインター鉄道(URY)



ロッキー・ナローの異色、といえば、何といっても、この鉄道でしょう。これも鉱物を運ぶ鉄道ではありましたが、金、銀のような華やかなものではなく、Gilsoniteギルソナイトというアスファルト系の物質がその荷物のほとんどすべてでした。



ギルソナイトの用途は、塗料、屋根の防水材、絶縁材、燃料添加物、舗装材料などで、19世紀末にあっては、世界でユタ州北東部Uinta盆地にのみ商業規模の埋蔵が発見されていたものでした。



その開発に着手したGeneral Asphalt社と、その子会社のBarber Asphalt Paving社は近くを通るD&RGに、搬出用の支線を建設してくれるよう掛け合いましたが、D&RGの方は、ギルソナイトの需要の先行きが見えない、として応じませんでした。



仕方なく2社は、自ら搬出用の鉄道を建設する事にして、1903年、D&RG本線のコロラド州Mackから、州境を越えて、鉱区のあるWatsonまで3フィート・ゲージの路線62マイルの工事に着手しました。



しかし、Mackから50マイルの付近で越える標高8,437フィート(およそ2,500m)のBaxter PassはWatson側の斜面が急峻で、最善のルート策定でも5マイルにわたって75/1000勾配、半径87フィート(27m弱)のΩカーヴの連続にしなければなりませんでした。(もっとも、Mack側の標準勾配でさえ50/1000だった)



荒涼たる岩山をつづら折のΩカーヴでよじ登る-その無茶苦茶さが先ず最初に、URYを特徴づけました。

FAB注:Uintahの線路跡をトレールしたサイトは米国に散見されますが、下記リンクにBaxter passの画像があり、往時を偲べます。

http://www.drgw.net/trips/report.php?tr=UINT.3



最初は急勾配区間用に2トラックのシェイを何台か揃えましたが、保守が大変だったのか、(ライン・シャフトが急カーヴで抜けて暴走し転落事故が起こったこともあった)これが老朽化したとき、この鉄道の当時の技師長、Lucian C. Spragueは自ら設計に参加してBaldwinに2台の2-6-6-2Tを発注しました。1926年と1928年に納入されたNos.50、51のマレー複式タンク機がそれで、この2台の存在で、一躍、URYは後世まで鉄道ファンに知られるようになったのでした。



ユナイテッド―アトラス工業がその末期にPFM向けに造ったこの機関車のHOn3モデルは、数あるHOn3蒸機モデルの中でも、まず秀逸といってよいものの一つと思います。




URYNo.51。ボールドウィンがナロー・ゲージ用に唯一造ったマレー式タンク機がこのURYの2台。ロッド式で75/1000勾配を、鉱物資源の積車を牽いて登ろう、というのだから、まさに“リトル・ジャイアント”。No.50とNo.51では炭庫の形状が異なる。PFM社が1978年に発売したユナイテッド製HOn3モデルを米国のプロ・ペインターが仕上げたモデル


ギルソナイトは産出も需要も好調でしたが、道路の整備が進むと、輸送は次第にトラックに移り、URYはついに1939年5月に廃線となりました。2台のマレーはオレゴン州東部で木材運搬を行うSumpter Valley鉄道に移ってテンダー機に改造され、1947年に中米のグアテマラに売却され、1960年代まで働きました。

FAB注:下記リンクにUintahの機関車がずらり。2-6-6-2のSVRやグァテマラの廃車体まであります。

http://home.bresnan.net/~bpratt15/uintah_photos.htm



URYでは途中、水が湧く場所がほとんど無いので、これらの機関車は弁当箱型の水槽車を連結しましたが、これはURYの廃線後、D&RGWが大量に引き取って、工事用の水槽車に使いました。今日もDurango & Silverton鉄道の側線に数輌見ることができます。こんな車もHOn3ではPFMからブラスモデルが、RioGrande Modelsからはレジン・キットが出ています。



この鉄道でもう一つ面白いのは、混合列車に使った鋼製車体のコンバインです。深い丸屋根を持つ一種の半流線型で、一見不気味、よく眺めると、なかなか愛嬌のある車です。実車はコロラド鉄道博物館にありますが、模型では残念ながら、どのスケールでもまだ製品化されていません。

FAB注:現存するURYローリングストックは下記リンクに。

http://home.bresnan.net/~bpratt15/current_photos.htm






■Denver and Rio Grande Westernデンヴァー・アンド・リオ・グランデ・ウエスタン鉄道(D&RGW)



この鉄道のナロー線のことを語り始めたら、いくらスペースがあっても足りないでしょう。1930年代以降で見ても、コロラド州の南半分を一周するサークルが、一部はRGSによってつながれるかたちではありますが、構築されており、北部幹線のSalida-Gunnison間には“The Shavano”、南部幹線のAlamosa-Durango間には“The San Juan”と名づけられた急行列車がビュッフェ―パーラー・カーを最後尾に連結して毎日運行されており、Denverからニュー・メキシコの古都、Santa Feを訪れるにはAntonitoで通称Chili line(沿線いたるところで特産のトウガラシが干されていたので、そう呼ばれたという)の列車に乗るのが最短コースでした。



これらの列車を牽引して俊足を誇ったのがAlco.-Schenectady工場製の2-8-2、K-28クラスでした。これらのサーヴィスのため、10台が造られましたが、第2次大戦中に7台はアラスカに供出され、再び帰らなかったのは、わがC56の運命に似ています。そして、残った3台は1951年まで“The San Juan”を牽引し、いまもDurango & Silverton鉄道で働いています。



このK-28ですらD51と同じぐらいの径のボイラーを持っていますが、さらに大きく、D52級のボイラー径を持つのがBaldwin製のK‐36クラスと、古いスタンダード・ゲージの2-8-0からボイラーとテンダーを転用した自社工場改造のK‐37クラスです。



これらは北部幹線のMarshall Passや南部幹線のCumbres Passでは重連や後部補機付き運転で家畜列車やタンク列車、パイプライン建設の資材列車など長大な編成に勇壮な光景を繰り広げました。



D&RGW K‐37+K‐36 ロッキー・ナローの蒸機の中での超大型2-8-2二形式が秋の家畜輸送列車を牽く。前位のK-37は古いスタンダード・ゲージの2-8-0からボイラー、テンダーを転用した自社工場製で、朝顔なりのテンダーで次位のK-36より古めかしく見える。モデルは共にPFMがフジヤマに造らせたHOn3製品。K-38が1977年、K-37が1978年に発売された


一方、支線や入換には戦後になっても、大小2-8-0も健在でした。一番小さいC-16クラスは、私も保存機を見て実感しましたが、日本に来た「弁慶」「義経」に毛は生えた程度の大きさです。映画の撮影に使われたNo.268はディーゼル機関車と同じ塗色に化粧され“Bumble Bee”(熊ん蜂)の愛称を得ました。



同じD&RGオリジナルのC-17、C-19はいかにもBaldwin製らしい2-8-0で、機番によってドームの形に違いがあったり、これまた“濃い”ファンには愛されている形式です。



D&RGW C-19 No.346。コロラド鉄道博物館の動態保存されている実機。D&RGオリジナルの2-8-0では最終形式で、最初のC-16クラスより“二回り大きい”と見てよい。これも好んで模型製品化されてきた形式で、ドームの形状などにバリエーションがある


C-21、C-25クラスは元Crystal River鉄道のもので、アウトサイド・フレームなのが特徴です。C-25は3フィート・ゲージの2-8-0としては最大級で、“K‐27の小型版”という感じです。



4-6-0のT-12クラスは、戦後は働いていませんが、K-28登場以前の旅客用の主力で、Chili Lineに働いていた最後の3台は保存されています。同じBaldwinが北海道炭鉱鉄道に納めた国有形式7200形から先輪を1軸減らしたようなイメージです。



これらはすべてHOn3で模型製品化されていますし、客車、貨車の類も製品は豊富です。ただ、従来は客貨車の台車の転がりが悪く、その点が運転の興を削いだのですが、近年、DCCのSOUNDTRAXX社の車輌部門であるBlackstone Modelからプラスティック製貨車が続々発売となり、この台車の転がりが素晴らしいので、問題が一挙に解決しています。



同社製の貨車ばかりでなく、台車の別売で従来の貨車も実用に耐えるようになったからです。そして、この夏にはいよいよ同社から客車も発売が始まります。この台車も別売されることになっているので、ブラス製客車もまた生き返らせることができるわけです。



K-36、K-37が活躍する長大な貨物列車も、以前は細かいパーツの貨車のキットを数多く組まなくてはならず、トラス棒や塗装、レタリングなどで暗礁に乗り上げたものですが、いまやウエザリングまで済んだ塗装済み番号違いが手軽な価格で入手できます。



HOn3のロッキー・ナローはこれからが本当に面白い時代に入るのだと思います。