私と鉄道模型の60年(17)–松本謙一 米国型HOn の世界その4


私と鉄道模型の60年(17)- 米国型HOnの世界その4






ナロー・ゲージの鉄道模型とその変遷(4) 米国は沿岸部のナロー・ゲージも見逃せない! — 松本謙一(日本鉄道模型リサーチ‐A.B.C.)






北米はかつてナロー・ゲージ鉄道の宝庫でした。カナダ東端のニュー・ファウンドランド島には3’6”ゲージのカナダ国鉄狭軌線が走り、米国の東端では最北のメイン州沿岸部に2’ゲージの小鉄道群、いわゆる“メイン2フータース”が地域交通線として活躍していました。



一方、西の果てでは、アラスカの海岸から、カナダ極北部に跨って、3’ゲージのWhite Pass & Yukon鉄道が金鉱や、銀、鉛、亜鉛を運び、さらに西の果て、太平洋のど真ん中、信託統治領だったハワイ諸島には、オアフ島を西側で半周する3’ゲージのOahu鉄道が大量の車輌群を擁し、また同島はじめいくつかの島には2’6”ゲージや3’ゲージの砂糖キビ運搬鉄道が無数に存在しました。



本土では、林業用鉄道にも、全体の中では、日本と違ってナロー・ゲージは少数派でしたが、3’ゲージのものは見られ、鉱山にはそれこそ数え切れないほどの2’軌道や3’鉄道が存在しました。



北米の鉄道模型界が世界に先駆けてナロー・ゲージの模型化に着目し、従来の「単一ゲージ基準規格」から「統一縮尺規格」に切り替え、その理念を確立したのには、このように多彩なナロー・ゲージ鉄道への興味が大きく作用したのです。



私にとっても、こうした北米各所のナロー・ゲージ鉄道は、図書を集める中で、それぞれに出会うたびに魅了されたもので、時々に、その世界の模型化を夢見るのは眞に心弾むことでした。



60年の鉄道模型暦で想像を豊かにしてくれた、そして、いまも心の中にいつも生きている大切な友達です。



今回、北米のナロー・ゲージの魅力を語る連載の最後は、彼ら沿岸部のナロー・ゲージの魅力を語ってみましょう。




■Sandy River & Rangeley Lakes鉄道



この鉄道一つでさえ、私の断片的な知識を語るだけでも、Web.に適当なスペースではとても足りません。そこには、ロッキー・ナローとは全く別の魅力が溢れています。



メイン州の西部で、この州の中心都市であるPortlandの北方に当る地域には、1870年代末から1890年代に掛けて、いくつかの2フィート・ゲージ鉄道が誕生しました。それらはのちに、“メイン・2フータース”と総称されますが、その誕生のきっかけは隣州マサチューセッツでGeorge Mansfieldという人物が、英国のWalesで23.5インチ・ゲージのFestiniog鉄道が石材輸送に成功を収めているのを見てきて、Billerica & Bedford鉄道という2’ゲージ鉄道を敷いたことでした。



この鉄道はわずか半年でつぶれてしまいましたが、Mansfieldはその資材を手土産に、今度は、当時木材事業で俄かに勃興したメイン州のFranklin郡に乗り込み、投資家を集めて、スタンダード・ゲージのMaine Central鉄道(MC)から奥地に入る軽便鉄道を造らせたのでした。



これがSandy River鉄道で、この州最初の2’ゲージ鉄道でした。



この鉄道に接続して、幾人かの投資家たちが、次々に同じゲージの小鉄道を開業しましたが、これらがまもなく統合されていき、1908年にSandy River & Rangeley Lakes鉄道(SR&RL)にまとまり、1911年にMCの傘下に入りました。



この頃までに、近隣の別の地区に、Bridgton & Saco River、Monson、Wiscasset & Quebec、Kennebecといった2’ゲージ鉄道も開業しました。



これらメイン州の2’ゲージ・ナロー鉄道が、ロッキーなど米国の標準的な3’ゲージ・ナローと大きく異なる点は車輌のサイズとプロポーションです。



ロッキーなどの3’ゲージ車輌は、日本の幌内鉄道へ来た「弁慶」「義経」の機関車、「開拓使」などの客車とほとんど同等か、それ以上に大きいもので、われわれ3’6”ゲージに慣れた日本人の目には、さほどに「軽便」というイメージには映りません。



ところが、メイン2フーターの車輌たちは断然断面が小さく、車輪径は極端に小さく、従って腰は異様に低く、これはどう見ても「軽便鉄道」のイメージです。標準的なタンク機関車の大きさは日本の2’6”ゲージ鉄道のやや大きいもの程度で、体格の大きい米国人が脇に立つと、まるで遊園地の豆汽車のようです。



客車は、これまた異様で、今にも倒れそうな断面(もちろん左右1人掛け)にもかかわらず、車長は12m級、と、わずか600mm程度のゲージにしては、異様に長いのです。本当にダックスフントのイメージです。



メイン2フータースは各鉄道ごとに主な輸送の内容も少しずつ異なっていましたが、最大路線のSR&RLの主たる運搬物はパルプ原木とベニヤ板でした。1929年時点での営業距離は96マイル、機関車数13、客車20、貨車その他が296、という陣容で、機関車は0-4-4T、2-4-4-Tのフォーニー・タイプのほかに重貨物用として2-6-2も保有していました。



SR&RL No.10 サンディー・リヴァーの保有したタンク機関車はすべてリア・タンクのフォーニー・タイプだったが、軸配置は初期の0-4-4Tから後期には2-4-4Tに大型化していった。No.10はこの鉄道が保有した最大のタンク機。1916年のBaldwin製で、この鉄道のフォーニーで唯一ワルシャート式弁装置を持っていた。当初は木製キャブだが、後に写真の鋼製キャブに改められた。モデルは1984年に井上正三氏のFlying Zooが杉山製作所に造らせたHOn2.5製品。牽いている客車は貴賓車“Rangeley”で、これは珊瑚模型店から真鍮バラキットで発売されたもの。撮影協力:Kondoura


この地域は湖沼地帯で、私も訪れてみましたが、地盤はあまり丈夫そうではなく、そうしたことも軽便鉄道への選択につながったのかもしれません。



この鉄道の息の根を止めたのは、舗装道路の整備で、荷主がトラックに移ったことで、その事情は他のメイン2フーターも同じでした。SR&RLの全面廃止は1935年6月でした。最後まで残ったMonson鉄道は1943年に廃線となりました。



しかし、現在でも、メイン2フータースの実物車輌に対面する事が出来ます。それも1台や2台というわずかな数でなく、相当数のものが実存しており、そのうちのいくつかには実際に乗車して乗り心地を体験できるのです。



その最大の規模はPortland市のダウンタウンの北の外れにある鉄道博物館と、運転施設で、路線は元のCentral Vermont鉄道の線路跡の一部を使っており、元MonsonのVulcan Iron製フォーニー、運がよければ木造キャブの美しい元Bridgton & Saco River鉄道のBaldwin製No.8が牽く列車に乗ることが出来ます。客車はすべてSR&RLのものを含む本物で、カブースも紛れも無く、名著Ride the Sandy Riverに出てくる現物です。博物館の屋内にも貴賓車Rangeleyをはじめ、素晴らしい客車のコレクションがあります。



■RIDE THE SANDY RIVER

L.Peter Cornwall & Jack W.Farrell著 Pacific First Male刊

日本製ブラスインポーターとして名高いPacific First Male(PFM)は70年代から80年代に多くの名著を残したが、記念すべき最初の出版となったのが本書。日本製ブラス最大のインポーターだった同社は大型機に止まらず、小型機やナローまでモデル化したことで知られるが、それにしても出版第一号がメイン2フーターとは渋好みの製品を常に用意していたPFMらしい。サンディ・リヴァーの魅力を余すことなく伝えるこの一冊でSR&RLの虜となった諸兄も多かったはずだ。


Portlandから1~2時間のドライヴになりますが、元SR&RLの沿線、Phillipsと、もう1箇所、これも2フーターであったWiscasset, Waterville & Farmington鉄道のWiscasset近郊で、元の線路敷きを部分的に復活して往時の客車と蒸機で運行しているファン・グループの保存鉄道もあります。



2007年のNarrow Gauge ConventionがPortlandで開催されたのを絶好の機会、とこれらを訪問してきました。



機関車のかわいらしさもさることながら、客車の造作は本当に綺麗でした。まさに美術品といっていいほどです。形はまさにダックスフントなのに、気品が漂っているのです。ほとんどが、日本でいえば昭和初頭から10年代半ばまでに廃線になっているのに、これほど沢山の車輌が今日まで姿を留めており、またしっかりレストアされている、というのは奇跡を見るような思いでした。




SR&RL Caboose No.557 アメリカ大陸最小のコンボ・カブースにして、コンボ・カブースの魅力の真髄を具現したのが、この車。古くはTMS誌の「鉄道車輌401集」に図面が紹介され、それを見たときからの憧れだった。メイン州ポートランド市のMaine Narrow Gauge Railroad Company and Museumにて、2007-9撮影
Maine 2-footers の列車 メイン2フータースの一つ、Wiscasset, Waterville & Farmington鉄道の路線の一部がファン・グループによって復元されている。メイン2フータースの勃興した地域は湖沼地帯で、湿地交じりの林を抜けて村から村へ、物資や人を運んでいた。メイン州オルナのWiscasset, Waterville & Farmington Railway Museumにて、2007-9撮影


Maine 2-footersの客車の標準サイズと車内 メイン2フータースの客車の標準的な車
長は40フィート(約12m)で、断面が小さいだけに、一層長く見える。しかし、造作はい
ずれもきめ細やかで、惚れぼれするほど美しい。車内はさすがに左右一人掛け。メイ
ン州フィリップスのSandy River Railroad Museumにて、2007-9撮影


これらメイン2フータースの模型製品化を最初に手がけたのは日本のナロー・ゲージャーたちでした。これも鉄道模型史には刻まれて然るべきでしょう。珊瑚模型店の並木氏、大久保氏が企画し、輸出入業者Flying Zooを立ち上げた井上正三氏が米国市場へ直接売り込みを図ったHOn2.5製品がそれです。HOn2でなくHOn2.5としたのはNゲージの線路が使える、日本型ナローの部品が使える、という日本的事情、小メーカーの悲哀でした。特徴あるコンボ・カブース、客車3種、貨車数種と2-6-2のNo.10を真鍮製バラキットで発売しました。これに呼応して、米国でもバスウッド主体の貨車キットが数種、出ました。



SR&RL No.23 木材輸送が主目的で建設されたサンディー・リヴァーではフォーニーは主として旅客用に用い、貨物用には当初は2-6-0、やがて2-6-2を愛用するようになった。No.23はその最大のもので、米国全体の2フーターでも最大の機関車となった。1913年のBaldwin製。後続のNo.24はやや小さめに造ったほどだったが、この2台はこの鉄道の歴史の後半に最も活躍した。モデルはThe Car Worksという、主としてトラクションものを手がけてきたインポーターが韓国メーカーに造らせたHO2.5製品。ひょろ長いコンボ・カブースも同じインポーターの製品


On2ではCustom Brass社が最初、日本のGo Model、続いて韓国メーカーを使って、0-4-4Tとコンボ・カブース、客車を出し、かなり経ってから2-6-2も出しましたが、その後が続きませんでした。Sn2でも米国の新興インポーターによって製品が出されましたが、これもあとが続いていません。



メイン2フーターは米国のナロー・ゲージャーにとっても、聖地の一つで、本もいくつか出て研究者も多いのに、模型となると製品展開が続かないのはやはり模型の題材としては少数派に留まっているからでしょうか?



HOn2については、近くドイツからの成型製品の展開が始まるそうですが、その流れで米国でもHOスケールでのメイン2フータース製品化に再挑戦の風が起こるのでしょうか?
ちょっと注目しています。






■White Pass & Yuikon鉄道



北米大陸最北のナロー・ゲージ鉄道で、3フィート・ゲージ。いまも一部区間が観光鉄道として存続しています。



アラスカは米国がロシアから叩き値で買い取ったのちも毛皮ハンターの猟場ぐらいにしか見られていませんでしたが、内陸のユーコン郡に金鉱が発見されるとにわかに注目を集め、1898年に港町のSkagwayから沿岸山地を越えて、Yukon川を遡り、奥地のWhitehorseまでの資材運搬鉄道が、両端から着工され、1900年6月末に全通を見ました。



この鉄道は一部区間がカナダ領を通るため、三つの鉄道会社に分けられ、それを総称して、White Pass & Yukon Railway(WP&Y)を名乗るようになりました。



ゴールド・ラッシュの嵐が収まると鉄道は一旦衰退しましたが、1930年代後半、日本との関係が緊張してくると、アラスカの戦略的価値は高まり、輸送量も回復していきました。1941年12月の日米開戦とともに奥地を縦貫するアラスカ・ハイウェイが起工され、その資材、人員輸送には一地域企業であるWR&Yでは到底対応できないことになり、米国陸軍鉄道部隊が進駐して、この鉄道を運行する事になりました。



輸送力増強のため、陸軍鉄道部隊が世界の狭軌地域に展開できるように開発した戦時急造型2-8-2“マッカーサー”タイプのほか、全米各地の3’ゲージ鉄道から余剰機関車、休眠機関車が徴発されて持ち込まれました。



この中には、Denver & Rio Grande Western鉄道でまだ比較的車齢の若いK‐28クラス全10輌中7輌が含まれていました。D&RGWとしてはモータリゼーションの波及で旅客輸送が激減し、主として旅客用に位置づけていたK-28クラスは中途半端な存在になっていたため、供出によろこんで応じたものでした。



終戦とともに陸軍鉄道部隊は撤収し、供出された機関車たちは元の所有者に返還されことになりましたが、D&RGWを含むすべての供出者は、すでにナロー・ゲージ線を廃線とするか縮小する傾向にあったため、これを辞退したので、シアトルの港までは運ばれたものの、そこですべて解体されました。現在Silverton鉄道に働いている3台のK-28は、このとき供出を免れた3台そのものです。



U.S.A. No.256 太平洋戦争の開戦と同時に、米国陸軍はただちにアラスカの戦略拠点化に着手した。陸路で沿岸各町村に到達でき、奥地にも基地建設を進められるアラスカ・ハイウェイの建設の資材運搬のため、ゴールド・ラッシュ当時に造られたホワイト・パス・アンド・ユーコン鉄道が米陸軍鉄道部隊に接収され、全米の3フィート・ゲージ鉄道から徴発された余剰機関車、休眠機関車が持ち込まれた。その中で際立って新しかったのは、デンヴァ-・アンド・リオ・グランデ・ウエスタン鉄道が提供したK‐28クラス7台であった。これらは戦後、返還が辞退されたため、シアトルの埠頭で解体され、“帰らざるK-28”となった。モデルはWestside Modelsが中村精密に造らせた1978年製のモデルを使って、そのエピソードを再現したもので、機番は米陸軍鉄道部隊の整理番号。たった1枚の写真を参考に、ナンバー・インディケーターとドッグハウスを撤去した


WP&Y自体の機関車で見るべきものには60番台の2-8-0と70番台の2-8-2があります。2-8-0の方はなかなか量感のある、アウトサイド・フレーム機です。そのうちにNo.60がこの鉄道のディーゼル化で、サウス・ダコタ州の観光鉄道、Black Hills Centralに行きましたが、ここもスタンダード・ゲージ化され、現在はSkagwayのファン・グループに買い取られて、目下レストア中だそうです。



70番台2-8-2はペンシルヴァニア州の運炭鉄道East Broad Topの2-8-2を参考にした、ともいわれますが、印象はEBTのものよりややスレンダーで、全く癖のない機関車です。1938~1947年のBaldwin製で、1947年製のNo.73が米国最後の国内向けナロー・ゲージ蒸機新造となりました。こちらは1968年にPFMが安達製作所にHOn3製品を造らせています。



WP&Yは実は木造客車が素晴らしいのですが、こちらはまだ模型製品化されていません。



鉄道は戦後、鉱石輸送と観光の二本立てでやってきて、米国のナロー・ゲージ鉄道では唯一、コンテナ輸送にも挑戦しましたが、鉱石輸送が新たなハイウェイの完成でトラックに移ったため、1983年に廃止となりました。しかし、ほどなく、一番風光明媚な区間だけが夏季の観光鉄道として復活して、いまでも時折2-8-2のNo.73が運転されています。






■West Side Lumber Co.



この鉄道、略号W.S.L.Co.は、私に北米の林業用鉄道、すなわち“ロッギング”の面白さを最初に教えてくれた、いわば大恩ある存在です。



カリフォルニア州中部のやや北、ざっといえばヨセミテ国立公園に近いシエラ・ネヴァダ山脈西斜面に、ナロー・ゲージの林業鉄道としては北米最大の規模を展開したのが、この会社。しかも1960年代初頭まで、ディーゼルを一切導入せずに3トラックのシェイ・ギヤードと、スタンダード・ゲージとのインターチェンジ用小型ハイスラーを活躍させて多くの名作写真を生ませ、有名になりました。



中学生の初めごろ、天賞堂の斜め前にあったイエナ書店の洋書部で見つけた『The last of 3 foot loggers』という写真集が、まさにこの鉄道を紹介するものでした。



シェイ、ハイスラーといった歯車式蒸機の活躍もさることながら、風景の雄大さ、そこを渡っていく高い木橋の素晴らしさ、手製のカブースや補助水槽車の姿の珍妙さなどが、たちまち私を魅了したのです。



北米には、それこそ数え切れないほどの林業鉄道が存在しましたが、断崖絶壁にへばりつき、深い谷をいくつも渡って急勾配で山奥深く分け入っていく路線というのは、実のところ、それほど多いわけではなく、その点でもW.S.L.Co.は全米林業鉄道中有数の面白さを持っていたのです。そのことはむしろほかのロギングを調べていくうちに、段々判っていきました。



そして、その接続するスタンダード・ゲージの一般鉄道というのが、これまた数多くの映画やテレビドラマに登場してきたSierra鉄道です。その接続点で、W.S.L.Co.の製材所、機関庫、ヤードがあったTuolumneを先年訪問してきました(田舎食堂の手造りハンバーガーが美味かった!)が、いまでも山へ向かう線路の一部がそのまま残っていたり、Sierra鉄道とのインターチェンジ・ヤード跡が公園となってハイスラーNo.2が置かれたりしています。製材所の施設の一部も遺されています。



大都会サン・フランシスコからさほど遠くなく(十分に日帰り可能)、鉄道趣味の盛んなカリフォルニアでSPのナロー支線と共にナロー・ゲージの代表格だったW.S.L.Co.だっただけに模型の世界でもファンは多く、また機関車の大きさもそこそこあることからモーターのサイズの問題も比較的楽だったので、この鉄道の末期まで残った(ほとんどは現在も実存)罐はこれまでにすべてHOn3で模型製品化されています。



最初は1965年にWestside Modelsがカツミ模型店に造らせた2トラック・ハイスラーで、これはまだかなりオーヴァー・スケールでしたが、スタンダード・ゲージとコンヴァーティブルの交換台車が入っており、堅牢かつ走行装置は精緻なつくりで、むしろフリーランスの鉄道に働かせるのに格好の製品です。



シェイの方は、やはりWestside Modelsが1977年に歯車がもともと専門の中村精密を使ってNo.8から製品化を進め、Nos.9、10、15、の順で進めて、その後、発注者はPSCに交替し、No.14とNo.12まで実現しました。



ここでNo.7のみが残ったわけですが、その後、PSCは韓国のメーカーを使って、設計を一からやり直し、1987年にハイスラーのNos.2、3をW.S.L.Co.製品では初めて塗装済みで発売。これを1999年に再生産し、2006年にはシェイNos.7、8、9、14、15を一気に発売しました。(おかげで、この年の金策は大変でした)



この鉄道は先にも述べましたように、機関車の魅力もさることながら、事業用貨車やカブース、除雪車にも面白いものが揃っています。これらもHOn3ではRio Grande Models、Durango Pressといったキット・メーカーから製品が出ています。



私においても、これらを使ってW.S.L.Co.の魅力のエッセンスを集約したような小パイクを作ってみたいというのが永年の夢の一つです。



W.S.L.Co. No.8 ヨセミテ国立公園に近いシェラネヴァダ西斜面に1960年代初頭までシェイ・ギヤードの活躍で操業していたウエスト・サイド木材会社の3フィート・ゲージ林業鉄道に最後まで活躍した7台の3トラック・シェイの1台で、Nos.9、10とはほとんど同型の三姉妹。近代的な密閉キャブを持つ。製造はもちろんLimaで、No.8は1922年の生まれ。写真は2006年にPSCが韓国のメーカーに造らせ、塗装済みで発売したHOn3モデル





■Oahu鉄道



かつてハワイ諸島で最大の規模を誇ったのが、この3’ゲージ鉄道です。


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この鉄道も私には米国のナロー・ゲージの多様さを知るうえで強烈なインパクトを与えたものでした。



先のW.S.L.Co.の写真集、『The last of 3 foot loggers』の次に、手に入れたナロー物の本は『HAWAIIAN RAILROADS』です。奥付に1963年の出版、とありますから、入手は中学3年、東京オリンピックのあたりでしたか?



A5判の小さい本でしたが、この本で、あの絶海のハワイにかなりの鉄道があったことを初めて知りました。そして、私の目を釘付けにしたのは、椰子の葉陰のうしろ、13線以上ある扇形庫にずらっと顔を揃えた大小ナロー・ゲージ機関車の群れ、という見開き写真でした。ロッキー・ナローにさえ、こんな線数の扇形庫はありません。これがOahu鉄道(正式にはOahu Railway & Land Co.)で、最盛期には路線は90マイル以上にも及びました。



この路線延長は冒頭のメイン2フーターの雄、Sandy River鉄道と偶然にもほぼ同じですが、1945年時点で、機関車数は26、客車84、貨車1,033を保有していたのですから、輸送力の規模は格段の違いです。



機関車たちがまた素晴らしいものぞろいでした。ヘッドライトの直径が円室前面の直径の半分以上もある小型4-4-0、とか、アウトサイド・フレームでひときわ大きな窓が魅力的な0-6-0や2-8-0(後年、これらは皆Alco製ということに気付き、納得しました)、どう見てもコンプレッサーの位置以外、D&RGWのK-28にそっくりの2-8-2…。



そして、客車やカブースがまた素晴らしい。ロッキー系よりも短い車体に大き目の窓。パーラー・オブザヴェーションは車体の1/3ほどが展望デッキ。キューポラ以外に窓が一つもない、ぶっきらぼうなカブース…。



そして沿線と列車の風景も、太平洋の荒波寄せるKaena Pointを行く2-8-2の重貨物あり、2-8-0の重連、三重連が牽く満載のパイナップル列車あり、入り江を木橋や堰堤で渡っていく4-4-0の軽旅客列車あり…しかもHonoluluに近い一部の区間は複線、自動信号つき、という本土のナロー・ゲージには考えられない近代性すら備えていました。(ロッキー・ナローには、ポイント標識以外、信号機は一切ありませんでした)



この鉄道の消滅時期、というのはちょっと表現が難しく、ほとんどの路線は1947年末に営業を止めましたが、Honolulu周辺のドック、缶詰工場のための専用線は1971年まで、Pearl HarborからNanakuli経由中央山地に分け入ったLualualeiの弾薬庫までは海軍が買い上げて、1970年までディーゼル機で弾薬輸送を行なっていました。2-8-2も1台だけ予備機として1966年まで保有されていたそうです。



つまり、昭和40年代半ばまで、ハワイには実用鉄道があったのです。(マウイ島にも1966年まで蒸機も現役の3’ゲージ一般鉄道、Kahului鉄道が営業していました)



私にとっては大変な魅力を持つOahu鉄道ですが、残念ながら米国本土の模型界には全く顧みられていません。米国50州の中で、その州をかつて走ったことのある鉄道車輌が一つも模型製品化されたことがない、というのはハワイだけです。



それは余りにも残念だ、というので、月刊『とれいん』で50州各州の鉄道模様を再現する連載をやった際に、「Hawaii州」の回では、既存製品から改造して、いくつかのハワイの車輌を模型化してみました。



その中の白眉は、何といっても平井憲太郎氏によるOahu鉄道2-8-2でしょう。これは中村精密のWestside Models向けD&RGW K-28の余剰がバラキットで売られた際に入手してあったものを改造したのですが、テンダーのシェルは平井氏が自作、煙室正面は確か森川幸一氏が作ったと思います。模型化してみると、K-28のような、あくの強さは消え、C52とほぼ同時期のAlco-Schenectadyの洗練振りが際立ってきました。



OR&L No.70 オアフ島を西側でほぼ半周していたハワイ最大の鉄道、オアフ鉄道は重貨物牽引用に同型4台の2-8-2を保有していた。機番はいずれも切りよく、Nos.60、70、80、90で、1925年と1926年に2台ずつ、Alco.のSchenectady工場から納入されている。これらは実は同じ工場が1923年に、ハワイとは対照的なロッキー山中のデンヴァー・アンド・リオ・グランデ・ウエスタン鉄道向けに製造したK-28クラスのコピー。複式コンプレッサーを単式2連とし、“常識的な位置”に移し、重油焚きとしたテンダーのスカイラインを一直線に整えただけだが、獰猛さはすっかり消えて、“スケネク”らしい洗練された罐に変貌している。写真のモデルも、Westside Models-中村精密のK-28のバラキットをベースに、実機と同じ手順で製作したもの。筆者のプロデュースによる平井憲太郎氏の作品。


ハワイの地元にも鉄道模型クラブはあるようですが、Webで見る限り、本土的なスタンダード・ゲージのディーゼル機などを走らせているので、Oahu鉄道の車輌の模型化一番乗りは日本人が果たした、と思っています。



いま、いよいよ新製品の種が枯渇してきた米国のブラスモデル・インポーターのなかで、Division Pointが、Oahu鉄道で私のもっとも気に入りの2-8-0、Nos.32-36のHOn3製品化の可能性をアナウンスしていますが、これは何とか実現して欲しいものです。






■シュガー・ケーン・プランテーション



ハワイ諸島では結局、カウアイ島、オアフ島、マウイ島、ハワイ島に一般営業を行なう鉄道が開業しましたが、それに連結するように、あるいは全く孤立して、大小数多くの農業鉄道が敷設されました。



これらのほとんどはサトウキビを栽培し、製糖する大農場(プランテーション)が所有するものでした。ゲージは3’ゲージの一般鉄道に直接連絡し、一部乗り入れたりするものは3’、畑と製糖工場を結ぶだけのものや、カウアイ島で一般輸送も行なった二つの路線は2’6”を採用しました。



これらで、初期に活躍したのは木曽森林鉄道のBaldwinリア・タンク機をもう少し軽量にしたようなB1のリア・タンクやサドル・タンクでしたが、1900年あたりからはBaldwin製でアウトサイド・フレーム、サドル・タンクを持つ0-6-2Tが軒並み愛用されました。



これらは、よくよく見れば、大小、長短、さまざまなバリエーションがあるのですが、パッと見は、相互によく似ていてなかなか見分けもつかず、また覚えにくいものです。



同じサトウキビの島でも、キューバでは圧倒的にBaldwinのテンダー機、特に2-8-0が多く、ハワイではおなじBaldwinでも0-6-2Tサドル・タンクが主流、というのは面白い対比です。



これらのうち、2台は現在オアフ島でファンのグループが保存していますが、実はもう1台が日本に来てしまっています。



日光近くに現在休園となっている“ウエスタン村”が所有しているのが、それで、一旦カリフォルニア州San Jose近くの“Rolling Camp & Big Tree”という観光鉄道に渡っていたものが放出され、競り合われて、バブル期の日本人が落札したものです。



私が当初から予想したとおり、このテーマ・パークは長続きせず、いまは機関車も閉鎖された施設の中に閉じ込められていますが、その運命は非常に心配です。管財人にでも屑鉄として一括処理されてしまえば、ハワイの貴重な文化財が失われてしまうわけで、日本の鉄道ファンとしては、世界に対して非常に恥ずかしいことになります。なんとかふるさとのハワイへ返してあげたいものです。



さて、この“ハワイアン・プランテーション標準0-6-2T”に関しては、それにほとんど近い模型製品がかつて日本で誕生しています。のちに乗工社を開いた倉持尚弘氏が主導して珊瑚模型店に規格を持ちかけ、製品化した、「ダックス・ストーリー」シリーズの0-6-2Tサドル・タンクです。HOn2.5で、真鍮主体のバラキット(走行部は組立済み)。ハワイのものと同じアウトサイド・フレームを、当時まだ目新しかったプラスティック成型で作っています。



プロトタイプは確か、倉持氏と同じ「けむりプロ」の杉行夫氏がブラジルで見つけた罐だった、と思いますが、ハワイで多用されたものと全く同じ系列です。



「ダックス・ストーリー」はいろいろな事情が絡んで、倉持氏が考えたような流れを起こせませんでした。使えるサイズのモーターがまだキャラメル・タイプしかなく、ナローらしい走りが得られなかったのも、多くの期待に外れたことでした。一口で言えば、ハードもソフト面も、時期尚早だったのが悲劇でした。



しかし、私は「これで、いつか絶対ハワイのプランテーションだ!」と決めていましたから、1台しっかり確保して、これものちに「50州ハワイ偏」に登場させました。米国風のヘッドライト、ベルのほかに、給水作業用でしょうか、ハシゴも加えました。



といっても、そのときは依然適当なモーターがなく、動力面の整備は保留してきました。ファウルハーバーなど、素晴らしいコアレス・モーターが得られた今日、いよいよ、「ハワイアン・ダックス」復活を図りましょうか?



Baldwinプランテーション向け0-6-2T ハワイのいくつかの島では、2’6”もしくは3’ゲージのサトウキビ運搬鉄道が活躍したが、そこで標準的に採用されたのが、Baldwin製の0-6-2Tサドル・タンク機だった。珊瑚模型店が発売したHOn2.5の“ダックス”0-6-2Tキットはサドル・タンクを選択すると、まさにこの規格型にぴったり。レタリングは実在のものではないが、いくつかの実機の写真から、それらしい雰囲気を出したモデル


こうして、全米のさまざまなナローに興味を持ち、夢想して楽しんでこられたのも、初期にせっせと関連洋書を集めたおかげでした。いま改めてそれらの奥付を確認してみますと、購入以来いつしか40年以上を経過したものがザラです。当時の洋書は1ドルが500円換算でしたから、それは高いものでした(天賞堂のCタンクよりも高い本が普通でした)が、この間、それがネタ本となって、かずかずの名場面を心に焼き付け、これだけ楽しんだのですから、私の人生を心豊かにする先行投資としては、大成功だった、と思います。



落ち着いて、繰り返し眺める事ができる書籍ならでは発見と感動。これだけは電子情報も絶対超えられないでしょうね。