私と鉄道模型の60年(18)–松本謙一 ニューイングランドの機関車達part1


私と鉄道模型の60年 (18) - ニューイングランドの機関車達part1






米国最古の文化圏を巡った車輌を考察する――松本謙一(日本鉄道模型リサーチ‐A.B.C.)





山間を往くボストン・アンド・メイン鉄道のローカル列車。牽引機はこの鉄道の旅客郵送の中核であったP-2パシフィック。編成は近隣農村地帯からボストンへ新鮮な生乳を運ぶミルク・カーに、オスグード・ブラッドレイ社製の軽量コーチ2輌。中、小型パシに3輌程度の客車編成、というのは筆者の大の好みの一つである。ミルク・カーは数年前に販売されたレイル・ワークスの塗装済みブラス製。客車はこのほどようやく発売になったラパイド・トレイン社製のプラステイック製品。「黒いパシに赤い客車3輌」という永年の夢がようやく実現した。



■きっかけは「The Steam's Finest Hour」



中学に合格して間もなく、父にせがみ、天賞堂で1冊の大型写真集を買ってもらいました。

『The Steam's Finest Hour』(『蒸機の黄金時代』とでも訳しましょうか?)‥それまで断片的には『Model Railroader』誌などを買っていた私にとっても単行本の本格的な写真集としては最初の米国鉄道書籍でした。



天賞堂で当時の価格が7,000円。同じ頃、例のCタンクが1,500円、そのあと発売になったDF50やED42が軒並み4,950円、すでに発売されていたカツミの“シュパーブライン”(名づけ親は山崎喜陽氏だと、ずっと後年ですが御本人から伺いました)D51が7,500円でしたから、いまの模型の価格に当てはめてみれば、洋書というものはずいぶんと高いものでした。



父としては「少しでも英語を勉強する気になれば‥」と期待したようですが、覚えたのは機関車用語ばかりで、結局は人生の方向を誤らせる、我が家としては大変不本意な顛末へ後押しする役目を果たした本でありました。



この本はTrains誌やModel Railroader誌の版元であるKalumbach社の出版で、米国の中クラスまでの鉄道を地方別に分け、その一番新しい蒸機たちをメーカー公式写真と、実際に働いている列車写真を必ずセットにして、諸元と簡単な解説をつけた、横開きの大型写真集です。



私が米国の大型蒸機の姿かたちを覚え、またそれぞれの鉄道が大まか、どの地域を走っているか、を覚えたのは、ほとんど、この本によっている、といってよいでしょう。この本でまず気に入った機関車を見つけた鉄道から、その鉄道単独の本を買っていったのです。いわば、私にとっての米国蒸機の総目次となったのが、この本でした。(いまでも「この機関車とあの機関車、どっちが大きい?」というような時には、まずこの本を見ます)



この本の本文最初の章は「New England」です。ちなみに、この本が私にとって大変に有用だったことの一つは、米国を「東部、西部」というわけ方ではなく、文化、歴史、気候を勘案した「地方」で分けてあったことでした。これによって「シカゴが東部と西部の分界点」「アパラチア山脈系の鉄道とハドソン河東岸の鉄道は全く別物」というような理解が進みました。



「New England」の機関車については、目に立つような超大型機は居ないが、さすがに米国で最も古い文化圏を誇るだけあって、均整の取れた、エレガントな姿態のものが多いのに気付かされました。



『とれいん』時代から私をご存知のみなさんには、私を「西部ファン」と思っておられる向きも多くいらっしゃるようですが、実はこのころから、一方ではNew Englandの罐も大いに気になっており、韓国製のブラスモデルでこの地域のプロトタイプがつぎつぎ発売されるになってくると、それをこまめに集めてきました。



日本ではこの地方の鉄道に興味をもたれる方はほとんど無いようですので、このエリアの鉄道をプロトタイプにする製品には、どうもこの国では私だけが所有しているらしいものも結構ありそうです。



しかし、このエリアは白人の生活史が長いだけに、町や村も細かく点在しており、多数の短距離支線や通勤列車が運行されていた関係で、模型化に手頃な短編成列車が多く、レイアウトに取り入れたり、モジュール・レイアウトの舞台とするのには、実に格好の存在。本来、もっとみなさんの興味を惹いてよいのでは?と思います。




■Boston and Maine鉄道(B&M)



この鉄道はマサチューセッツ州のBoston(ボストン)と、メイン州唯一の都市といっても過言でないPortland(ポートランド)を結ぶ鉄道としてスタートしましたが、20世紀に入って、ボストンからHudson(ハドソン)河に向かっての地域に重工業が進出してきたことから、そちら方面との貨物輸送が増え、またCentral Vermont(セントラル・ヴァーモント)鉄道、Canadian Pacific(カナディアン・パシフィック)鉄道と結んで、カナダのMontreal(モントリオール)とボストンを結ぶ国際ルートとしての存在価値も高まったことから、メジャー鉄道の列に加わりました。



もう一つ、この鉄道の大きな役割はボストンと近郊住宅地を結ぶ通勤列車でした。朝夕、ボストン北駅にずらっと顔を揃える蒸機通勤列車の列線は、今日写真で見ても興奮します。



元B&M鉄道のノース・コンウェイ駅。やはり西部には見られないニュー・イングランド・エレガンス。今日、蒸機観光鉄道、“コンウェイ・シーニック・レイルロード”の始発駅となっている。赤い球が二つ並んでいるのは古典的な信号機、“ハイボール・シグナル”の復元品。2007-9撮影


『The Steam's Finest Hour』のニュー・イングランドの章で最初に私の目を惹きつけたのは、この鉄道のP-4クラスという、大型パシフィック(4-6-2)でした。ドームからキャブまでを一体化したケーシングでつなげ、小気味好い小型デフレクターを備え、80インチ径のスポーク動輪、角を丸めたスポーティー・キャブ、という姿はスピード感十分‥この機関車の存在ゆえに、その後、B&Mという鉄道がずっと気に入って、蒸機のみならず、ディーゼル機に至るまで、「B&Mもの」を集めてきたのですが、皮肉な事に、当初気に入りになったP-4パシだけは、それから50年、いまだにブラス・モデルで製品化されていないのです。



一時、アサーンがプラスティックでHO製品化をアナウンスし、宣伝写真もMR誌に盛んに出ていましたが、とうとう日本には入ってこず、米国でもアマチュアのレイアウト写真や改造記事、中古品でも一度も見かけてことが無いので、幻の製品に終わったものかもしれません。



そのP-4が、今、ついにDivision Point社からHO製品化がアナウンスされ、今年の暮れか来春早くに実現しそうです。原型のデフ、ケーシング付と、戦後の、デフ、ケーシングをやめてから、の2タイプですが、これが実現しますと、私の永年の「B&Mコレクション」もようやく完結することになります。実に半世紀、気を持たされ続けた因縁の鉄道です。



しかし、何といっても歴史都市ボストンを拠点にした鉄道ですから、地元ファンの数も多いようで、B&M蒸機の主だった形式はほとんどすべてがHO製品化されています。実物もそれぞれに魅力のある連中です。



○小型の方から行きますと、まず“モーガル”(2-6-0)のB-15です。1903年から1910年までにManchester(マンチェスター)とSchenectady(スケネクタディー)で137輌も造られたのは、一形式の2-6-0としては米国最大の数です。米国では、4-6-0か、2-8-0を選んだ鉄道が多く、実は2-6-0はそれらに比べれば、はるかに少数派でした。



多分、マンチェスターが造った分ではないかと思うのですが、キャブの高さが薄く、そこに大振りのアーチ窓を配した姿は、なかなかスピード感があり、私は全米のスタンダード・ゲージ2-6-0の内では最高の傑作ではないかと思います。



この形式はまた長寿を全うしたものが多く、支線区の貨客、混合とボストンの通勤列車に。この鉄道の蒸機の終焉であった1955年まで勤め上げています。



HOモデルでは1975年にPFMがSamhongsaにスノウ・プラウ交換可能の仕様で750台造らせ、1990年にはOverland Modelsが同じく韓国のMS Modelsに3タイプのパイロット作り分けで合計250台を発注、都合1,000台が市場に供給されていますが、その割には私は近年、どちらも米国の模型店のリストでほとんど見かけた事がありません。非常に愛らしい機関車なので、手放す人がほとんどないのでしょうか?



PFM製品のB-15。これだけ大きいスノウ・プラウをつけたHO蒸機は米国型でも珍しく、記憶に残るモデル。木造客車や3,4輌の貨車編成が似合いそう。所蔵;平井憲太郎


ボストンの通勤列車といえば、第2次大戦後の1947年までは、4-4-0もまだ使われていたそうです。これもA-41クラスというのが、1900年から1911年までにマンチェスターとBaldwin(ボールドウイン)で77台造られていて、その一部が生き残っていました。(ついでながら、B&Mの客車というのは、タスカン・レッドといっても、ほとんど真紅に近いものですが、鮮やかさに中にも落ち着きがあり、黒い蒸機との取り合わせは大変きれいです)



この4-4-0もPFMが1979年に製品化しており、手がけたのはのちに天賞堂の専属となって数多くの16番国鉄型蒸機を造ったSKIです。これも米国産4-4-0の新造の最後を理解できる、なかなか佳いモデルで、今日のコアレス・モーターに換装したら、美しい走りを見せてくれるでしょう。これは200台しか生産されていない所為か、B-15以上に中古市場で見かけません。



PFM-SKI製のA-41fクラス。まず日本でこのモデルをご覧になった方はほとんど無いのでは?実機の“マンチェスター”という製造所は日本に製品を送っておらず、なじみが無いが、北海道炭鉱鉄道や九州鉄道の送り込まれたスケネクタディー製4-4-0にちょっと面差しが似ている。


このA-41、4-4-0をちょっと大きく、僅かに近代化したような形式がJ-1クラス、4-4-0です。これは実はA-41とほぼ重なる1902~1909年にマンチェスターとスケネクタディーで41台造られ、こちらは1952年まで在席して、やはりボストンの通勤列車に働きました。



アトランティックという軸配置は、総じてハイ・ドライヴァー、韋駄天系ですが、この形式も動輪径が79インチ(ほぼ2m)で、まさに“スプリンター”のイメージです。ちなみに、これに続いて登場してくるP-2パシの動輪直径は73インチですから、A-41の79インチは際立っています。



この形式は1988年にNew England Rail Service(NERS)という短命だった地域インポーターがSamhongsaに造らせてHO製品化しています。キャブをアーチ窓(スケネクタディー製造分)、角窓2個(マンチェスター製増分)の二タイプに作り分けました。



この発売は、模型購入予算に、いつも以上に困窮していた時で、「B&Mコレクション完遂のために」無理算段して2個窓仕様だけ入手したのを覚えています。私の計画では、いつか、これら4-4-0、4-4-2、それに次の4-6-2に赤い通勤客車を牽かせてずらっと並べ、夕方のボストン北駅を再現してみたいのです。



NERS-サムホンサ製のJ-1e。これもマンチェスター製のグループをプロトタイプにしている。煙室前面中央のヘッドライトを下支えの台座で受けず、後面で保持するのと、非常に大きい発電機を備えているのがB&M蒸機の特徴。未塗装であっても、この2点を見れば、すぐ識別できる。


パシフィック(4-6-2)は1910年代半ば以降、B&M蒸機群の中核を成した軸配置で、そのあたりにもB&Mのしっとりした良さが窺えます。



1910年にP-1クラス12台、1911~1926年にP-2クラス70台、1923年にP-3aクラス10台、すべてスケネクタディーが納入していますが、いずれも日本ならブルークス製輸入機を想わせるような大型アーチ窓のキャブを持つ優雅な機関車です。



これらもボストン通勤で永年大活躍した機関車です。いわば上野、両国に入っていた成田線の、あるいは山陰線京都口のC57に似たイメージでしょうか?



これらのうち、エレスコ式給水予熱器を持ったP-2b(のちにP-2dに形式変更)は1984年にOverland Modelsが韓国のJPModelsというメーカーを使ってHO製品化しました。JPはしばらくして、解散したのか、どこか大手の下請けに入ったのか、名前を見なくなってしまいましたが、組立てはしっかりとした、なかなか好いメーカーでした。自分で塗って仕上げましたが、筆者のパシフィック・コレクションの中でも、ひときわ愛着深いモデルです。



オーヴァーランド・モデルズ‐JP製のP-2b。これも中古市場であまり見かけないモデルとなっている。P-2は70台という大グループを形成して、B&M旅客機の中核を成した形式で、多くが1955年まで現役に留まっていた。大きなアーチを描くキャブ窓の優雅さと、煙突前に載せたエレスコ式給水予熱器のコントラストは、わがC51に通ずるものを感じさせる。


B&MのパシはOverland Modelsの創業者、Tom Marshも好きなのか、10年後の1994年に、今度はAjinを使って、P-2cを発売しています。そのときには、快速列車“The Minute Man”牽引機と、看板特急”The Flying Yankee”牽引機、2種の、いわゆる「色罐」をファクトリー・ペイントで出しています。



P-2c“ミニット・マン”の専用牽引機。Nos3681、3688の2輌がこの色に塗られた。シークな色調が多いニュー・イングランドの鉄道の中で、最も派手なもの。しかし、派手な中にも繊細な感覚が浮かび上がっているのが、さすが文化都市ボストンの鉄道。流線型をはじめ、アジンがその塗装技術の見事さを発揮した“色罐(いろがま)”も多いが、その中でも、ひときわ精緻を極めたモデル。


この時期のOverland-Ajinのコンビは、流線型を含め、こうした塗りの凝った色罐を次々発売してくれ、なかなか楽しませてくれたのも懐かしい思い出です。Tomの“マイナー好み”から息子のBrianに代が替わると、UPディーゼル機など、メジャーものに路線転換し、こういう愉しさは無くなってしまいました。



P-2cのNos.3686、3689を塗り替えた、看板特急“フライイング・ヤンキー”専用機。彩度の異なるグリーン2色を使い分ける、という凝ったもの。マイナー嗜好のトム・マーシュというホビィストがオーヴァーランド・モデルズを興さなければ、そして韓国に意欲旺盛なブラスモデル産業が育たなければ、おそらくこの世に登場しなかった製品だろう。


次回はB&Mの貨物用機、そして最後を飾った大型機を紹介しましょう。(続く)