私と鉄道模型の60 年 (6) — 松本謙一  韓国製ブラスモデルの登場


■韓国製ブラスモデルの登場―――松本謙一(日本鉄道模型リサーチ‐ A.B.C.)






■韓国製ブラスモデルとの出会い



今日では私のコレクションの70% 以上を占めているであろう韓国製米国型ブラスモデルとの最初の出会いは1973 年のある日、大阪のツカサ模型店でした。Canadian Pacific 鉄道のD-10クラス4-6-0のHO モデルが、それまで見たことがなかった緑色の化粧箱に入り、インポーター名はカナダのVanHobbies―ヴァン・ホビーズ、メーカー名はSamhongsa―サムホンサとあり、何とMade in Korea の表示がありました。手にとって見ると、若干素人くさいところはあるが、なかなかがっちりとした出来で、価格も安く、もともと実物の写真集で気に入っていたプロトタイプでしたので早速購入して帰りました。たしか、そのときGEM 向けのB&O C-16A クラス0-4-0 も並んでいたように記憶しています。



翌年になると、天賞堂にも同じVan Hobbies のCanadian Pacific のG-3 クラス4-6-2、P-2 クラス2-8-2、ツカサ模型店にはCanadian National 鉄道の2-8-0、N-5D が入荷し、いずれも安価であったことに加え、もともとカナダ蒸機は大いに興味があったため、当鉄道の車籍簿にはMaid in Korea が次々に加わっていきました。出来栄えもCNR のN-5D からはしっかりした感じになってきましたし、何より嬉しかったのは、それまで国内で入手できる米国型の蒸機といえば、天賞堂は圧倒的にGN、カツミはSP 中心で、私の興味の大きな要素であるレタリングやエンブレムでバラエティーに乏しかったところへ塗るのに面白そうな鉄道の罐が入手できるようになったことです。以後次々に入手したSamhongsa 製蒸機は、これも通販で米国から直接買うようになったChamp Decal 社のディカールを使っての塗装練習台に大いに役立ちました。





CNR N-5D 2-8-0 Van Hobbies Models/Samhongsa 1974

コンソリデーション(2-8-0)までが密閉キャブを持つ、というのも、いかにも北国カナダらしい。初期のサムホンサはカナダのヴァン・ホビーズ向けの蒸機を立て続けにこなし、実力を高めた。このCanadian National 鉄道の密閉キャブ型コンソリも以後、再製品化はされていない。この年あたりからのサムホンサ製品には早くも手馴れた様子が現れてきた。



■意外な韓国製ブラスモデルの出自



近年では世界のブラスモデルの90% 以上を生産しているであろうと思われる韓国鉄道模型業界ですが、源をたどると韓国独自に始まったものではありませんでした。実は日本の鉄道模型業界の一部の思惑がその発端でした。



東京オリンピック以後、日本は世界の歴史にも希な高度経済成長期に入り、輸出産業としての鉄道模型業界もこなしきれないほどの注文に嬉しい悲鳴を上げる黄金期に入ったのですが、そこには人件費高騰の影も忍び寄っていました。特に1970 年代に入っての給与の高騰と求人難は鉄道模型業界でも深刻で、それまで地方からの集団就職や団地の主婦のパートに頼っていた量産志向のメーカーにとっては伸び続ける欧米からの注文をこなしていくうえで、価格、生産力、両方の維持に不安が出てきました。



そこで目をつけたのが近隣アジア諸国―まだ経済発展の進んでいない国に下請工場を造り安価で大量な労働力を得られるのではないか、という発想を持ったのが熊田貿易の熊田氏、オリンピア精密の田賀谷氏、それに協力したのが中村精密の中村氏(いずれも故人となられました)でした。中村氏が人脈を辿って行き着いたのは赤坂にあった(と氏から聞いたと思いますが定かでありません)「三共通商」(あるいは「三協通商」?)という韓国系の貿易商社で、その縁者で名乗りを上げたのがサムホンサ李氏でした。氏は永らく時計の行商や修理を手がけていた業者で、もちろん鉄道模型には全くの知識も経験もありませんでした。



そもそも朝鮮半島は古代より中国伝来の儒教が中国以上に重視され、社会構造の基盤となってきました。儒教では漢詩、書、絵画のみは上流階級の男性のたしなみだが、生計の種にする物づくりは社会的に最下層の人間のする業とされ、極めて評価が低かった歴史が続いてきました。一定の地位にある者が工具を振るう、というのはまさに軽蔑をよぶ愚かな振る舞いで絶対に他人に誇れないものでした。ここに名人、名工が偉人として伝説にまでなる日本と歴史的社会構造の決定的な違いがありました。(今日でも韓国にあれほどの鉄道模型業界がありながら、アマチュア・モデラーという存在がほとんど皆無なのは多分にこの儒教伝統の影響です=韓国には鉄道模型メーカーはあっても鉄道模型店はありませんし韓国型製品もありません)



ちなみに日本では縄文時代より、器用に工作をこなす人間は「あれは神が手助けしているに違いない」「神が乗り移っているのか?」「もしかすると神なのではないか?」という尊敬が持たれ、そこから「神技」という言葉が生まれました。飛鳥、奈良時代に朝鮮半島からの帰化人やその子孫を大切にしたのも、日本が近代の入り口においてアジアでいち早く「技術大国」となりえたのも、こうした社会哲学の根本的な違いによるところが大であった、と私は思います。(そのかわり、朝鮮半島ではいまなお大切にされている「長幼の序」とか「孝」というものは日本では見る影もありません。韓国では年上の前で年下が先に煙草を吸ったり酒に口をつけたりすることはまず無いそうです。韓国の人とお付合いを始めると早々に実にさりげなくこちらの歳を訊いて来ますが、あのスマートさは日本人にはなかなか体得できません-どちらがいい悪い、ではなく、それぞれの文化、文明の違いとは、かくも抜本的な影響を現すことか、感心するのみです)



サムホンサの立ち上げにおいて、田賀谷氏はパーツ面、熊田氏は組み立て技術面、中村氏は動力関係で支援を行ったようです。そして完成した最初の韓国製品はGEM MODELS 社向けのPennsylvania鉄道N-1s クラス2-10-2。1971 年のことでした。



しかし、米国のインポーターにしてみれば、韓国でもブラスモデルが生産できるとなれば、日本を通して買うというのは高くつきますし、直接生産現場をコントロールできないもどかしさもつきまといます。そのうえ、朝鮮戦争以来、韓国には大量の米軍が駐留していたので英語の達者な韓国人は少なくないという状況が「韓国を日本の対米輸出の下請けに使う」という日本側の思惑を頓挫させます。オリンピア精密の田賀谷氏の急逝もあり、1972 年のHO B&O C-16A クラス0-4-0 を熊田貿易と共同製作したのを最後に李氏のサムホンサは独立メーカーとして歩み始めます。



B&O C-16・C-16A GEM/Samhongsa 1973/1972

ボルティモア・アンド・オハイオ鉄道がボルティモア市街と港湾の倉庫街の入換用に造ったドックサイドがC-16で、そのうちの2 輌をテンダー機に改造したのがC-16A。モデルの世界では1972 年にサムホンサが韓国製鉄道模型の第2 弾として熊田貿易の支援でC-16A を生産し、その下廻りの設計を活かして翌年、C-16 を造った。C-16はこれがHO で唯一のブラスモデル。ちなみに韓国製ブラスモデルの第1 号はサムホンサが1971 年にオリンピア精密と熊田貿易の支援で生産したペンシルヴァニア鉄道のN1s クラス、2-10-2。





これに着目したのが米国における輸入ブラスモデルのトップ・ブランドであったPacific Fast Mail 社、通商PFM でした。PFM はいきなり自社製品を発注せず、自社のカナダにおける総代理店で姉妹会社のような関係であったVan Hobbies 向けの「カナダもの」を矢継ぎ早に発注しました。おそらく、それで技術的な習熟度を上げさせてから自社製品を発注しようと考えたのでしょうし、一方、日本で使っているメーカーは米国内向け製品で手一杯で、一定需要はあるとしてもカナダ市場向け製品まで生産する余裕がなかったのでしょう。価格的にも当時はまだ米国とカナダの経済格差もあったと思います。結局PFMが自社製品をサムホンサに造らせたのは1975 年のBoston & Main 鉄道B-15c クラス2-6-0 が最初であったと思います。このころになりますとサムホンサの組立て技術はかなり手馴れてきました。



同じ頃、米国でも第2世代、といもいうべき新興インポーターが相次いで登場しました。Key Imports、Sunset Models、Overland Models、Oriental Limited、Precision Scale、Westside Models といった顔ぶれです。こうした新興インポーターは最初日本のメーカーにアプローチしましたが、希望するような納期で大型機をこなせる実力のあるメーカーはPFM やCustom Brass など第1世代のインポーターに押さえられていたため、相手にしてもらえずにいたところ、「韓国でもブラスモデル生産が始まった」というニュースに彼らは大挙韓国に殺到しました。



SP S-10 0-6-0 Sunset Models/Samhongsa 1977

日本製ではカワイモデル、カツミが手がけたサザン・パシフィックの“ ソーセージ・テンダー”つき0-6-0 スイッチャーだが、このサムホンサによるサンセット・モデルズ向け製品には“ 老兵”というような味が出ていて、筆者の愛着は深い。貧弱な小型棒型モーターを搭載していたが、昨年、ナミキの12φコアレス・モーターに換装して快調な走りぶりを獲得した。



韓国側もサムホンサからドロップアウトした技術者や、見よう見まねで開業する軽工業業者などが雨後の竹の子のごとく小メーカーとして乱立しました。ROK-AM、DAI YOUNG、Dong Jin、Ajin、D&D, TAEHWA、KOOK JEA、FM 等々。独立からまた独立が起こり、あっという間にソウルを中心に「鉄道模型産業」ともいうべき輸出産業の一群が登場したのです。これには当時の朴大統領の輸出産業振興策も大きな追い風になりました。朝鮮戦争で疲弊したままの韓国経済を振興するために朴政権は輸出用軽工業への支援に力を入れたので、こうした小メーカーでも労働力の確保など日本の高度成長と対照的に低価格を切り札にすることが出来たのです。



日本では「軍事政権」としてマスコミやリベラル知識人に何かと評判の悪かった朴政権でしたが、まず手近な軽工業を支援することで生産基盤を築き、中国に先んじて近代工業国家への脱皮を成し遂げた功績は韓国歴代政権の中で最大のものと評価してしかるべき、と私は思います。韓国製ブラスモデルはその水準がやがて世界最高峰に達したわけですから、朴政権の隠れた文化遺産といえるのではないでしょうか。





■初期韓国製ブラスモデルの実際



私も韓国製ブラスモデルに出会うまで、古代から飛鳥時代にかけて仏教美術の伝来や大規模な日本への帰化など関係が深かったこと、朝鮮戦争による荒廃、鮮鉄に始まり朝鮮戦争後の米国の支援もあって鉄道は米国型基調であること、国旗のシンボルがNorthern Pacific 鉄道のエンブレムにそっくりなこと(実はルーツが一緒なのでした)ぐらいしか、韓国に関しての具体的なイメージはありませんでした。



ただ、奈良の法隆寺に見るように朝鮮半島からの帰化人たちの血筋が遺した仏教美術を見る限り、細部の表現に至るまでに高い技術力とセンスを持つ素地がある以上、いずれかなりの製品を造り上げるメーカーが育つのではないか、という予感はしました。実際、Van Hobbies(PFM)と組んだ以後のサムホンサ製品は目覚しい進歩を見せました。それはおそらくPFM から与えられた日本のユナイテッド製品の構成を忠実に模したからだろうと思います。その設計のルーツはユナイテッドがまだ貿易商社としてPFM 社とメーカーとの中継ぎに徹していたころ、同社へ多くの製品を供給していた安達製作所の規格で戦前から鉄道模型の名設計家として定評のあった酒井喜房氏が原設計を手がけたと聞いています。その特徴は主台枠を真鍮の厚板と丈夫なスペーサーでしっかり組んでいることで、主題枠の頑丈さが蒸機の模型の場合、何といっても必須です。



韓国製ブラス蒸機の全般にわたる特徴は小型機の中の、そのまたごく一部を除いて、当初から、それまで日本製では高級仕様とされていた軸箱可動を標準としたことでした。特にサムホンサは最も安定したPFM 系日本メーカーの標準スペック(各軸箱を上から小さなコイル・スピリングで支えるものだがPFM 系がスプリングの長さ、硬さ、太さのバランスが最も良い)を踏襲し、この点で危なげない脚まわり構成をいち早く確立しました。



もう一つの韓国製ブラス蒸機の特徴。それは「手巻きのボイラー・バンド」でした。もともと日本製にあっても昭和30 年代以前は、ボイラー・バンドは真鍮細帯の手巻き、と相場が決まっていました(よほど安価な製品はプレス押し出し)が、人件費の高騰にともない、次第にエッチングで表現されるようになり、1970 年代後半になると、手巻きのボイラー・バンドは、天賞堂、フジヤマといった超高級製品のセールス・ポイントになっていました。手巻きのボイラー・バンドは実物換算ではエッチング表現よりオーヴァー・スケールになるのですが、モデルに立体感=適当なシャドウを与えるには絶好の表現です。(このあたりにも、模型化とは、単なる実物の寸法縮尺でなく、絵画性、という要素が非常に強いこと、実物の部分寸法への忠実さで、その模型の価値を判断する危険を理解して欲しいものです。-全体としての陰翳は極めて大事なのです)。米国では普及品として広く流通しているユナイテッド製品よりもさらに低価格でボイラー・バンドが手巻き、しかもキャブ・インテリアも完備した細密ディテール‥これは韓国製の大きなセールス・ポイントになったのです。



D&RGW P44 4-6-2

PFM/Samhongsa 1977

ブラスモデルインポーターの老舗、Pacific First Mail 社は韓国ではいきなり自社製品を造らず、まずカナダの姉妹会社、ヴァン・ホビーの製品を造らせて様子を見て、一定水準の製品が造れるようになったのを見届けてから、やおら自社製品を大量その発注するようになった。そのオーダーもホーム・レイアウト向きの中・小型機ばかりで低価格をそのような需要に活かそうと考えた。日本のメーカーが低価格の中・小型機では受注を敬遠しがちだったテーパーの強いワゴントップ・ボイラーを持つこの小型パシフィック(4-6-2)だが、当時工場を拡張し続け注文は何でも欲しかったサムホンサに受けさせて、“ トランジスタ・グラマー”ぶりを模型化している。これもキャノンの22φ小判型罐モーターに換装したのち、快走している。手巻きのボイラー・バンドがボイラーのきついワゴン・トップを際立たせている。





しかし韓国製品の当時最大の弱点は走行性能が安定しない、ということでした。事実インポーターのもとに到着した時点でスムーズに走行しないものが相当あったようです。一部の韓国メーカーには「鉄道模型は走らせて楽しむ」ということへの理解が足りずディテールを細かくすることに集中して軸箱保持の精度をいい加減にした例もありましたが、圧倒的多数はモーターのパワー不足でした。バルブギヤーの抵抗にモーターのトルクが勝てないためにすぐ焼損してしまったり、走行ムラや少しの走行での車輪踏面の電気酸化を生じたのです。これが一時的に米国市場でも韓国製動力車への評価を大いに下げました。



この当時、韓国ではまだ小型モーターを生産する専門メーカーがなく、モーターのほとんどは日本製に頼っていました。しかし、韓国側が寸法と価格で発注し、トルクという肝腎な点に無理解であったこと、日本のモーター・メーカーにも韓国を蔑視して粗悪なモーターを知らん顔で納入する業者もあったらしいことなどでトラブルが続出しました。そのうち韓国でも 気付きました。「強力なモーターでブン回す事が走行安定への一番の早道なのだ」と‥つまりゼロ戦対グラマン、の設計発想の違いに似た話で、日本の製品設計者はなるべく小さなモーター、安価なモーターで最大限の力を出させようとするのに対して、韓国では‘なるべくトルクの大きいモーターを使って余裕を持たせれば不良品が減るのだ!’と発見したわけです。



そこでスイスのマクソン社と技術提携した日本のキャノンのコアレス・モーターやドイツのビューラー社製セミ・オープン・コア・モーター、キャノンの高級スペック罐モーターなど、低電流消費でトルクの大きいモーターがどんどん使われるようになりました。まだ日本では罐モーター自体が半ば懐疑的な目で見られていた時代です。この変革は韓国製ブラス製品に対する欧米市場の評価をガラリと変えました。



ここから「人件費のしわ寄せを塗装代とモーター代の切り詰めで帳尻合わせしよう」という日本と「人件費はまだ抑えられるのだからモーターに金を掛けても確実に良く走る模型にして返品や売れ残りを減らそう」という韓国との決定的な違いが現れ、ほぼ同時に、ハンダや真鍮の合金混合比率の研究や、塗装、タンポ印刷技術への積極的な投資も進み、遂に世界市場において日本製ブラス製品に完勝したのでした。





■初期韓国製ブラスモデルへの今日的評価-シンデレラ・モデルに



第2世代のインポーターの中にはオーヴァーランド社のトム・マーシュ氏のように変形機や作業車のような面白い形の車輛を、鉄道の有名、マイナー、にかかわらず製品化する動きも現れ、そのほかのインポーターも幅広く顧客の要望(各鉄道のファンクラブなどの声)を取り入れ、また韓国メーカー全般が金型製作費の償却や使い回しにこだわらずに果敢に新規製品に挑戦した、という状況もあって、それまでの「定番再生産基調の日本製品オンリー」から一転して米国型ブラス車輛の製品バラエティーは一気に拡がりました。



これが、韓国製ブラスモデルの最大の功績、と私は確信します。もし韓国製ブラスモデルが登場していなければ、今日までの累計約18,000 種といわれる米国型HO モデル製品の世界ははるかに少ない数で終わり、アメリカ型の鉄道模型自体ずっと興味薄いものになっていたでしょう。



SP #217 0-6-0T Westside Models/Samhongsa 1977

筆者のレイアウトを訪問する米国型モデラーが異口同音に「こんな製品があったんですか!」と声を上げる異色機関車。実車はサザン・パシフィック鉄道の機関庫入換機で古い0-6-0 からの改造。日本のB20 のように無火の機関車の移動に使われた。製品はウエストサイド・モデルズの注文で造られたが、最初からマクソンのコアレス・モーターを積んだ。このあたりから“ コアレス・モーターのトルクの強さで確実に走らせる”という“サムホンサ流”が始まり、ウエストサイド・モデルズの売り物になった。



30 年に亘って鉄道模型専門誌の編集部であまたの鉄道車輛模型製品を眺めるうち、車輌のモデルにも「図面から抜け出してきたモデル」と「実車の写真から抜け出してきたようなモデル」という二つがある、という発見をしました。



実物車輛では、ボギー車でも、比較的新しいうちは、荷重が懸かって中央が垂下していくのを少しでも防ぐため車体は太鼓橋状に造られていますし、ごく古い車輌は、それでも中央が垂下しています。また側版の鋼板などは裏側の支柱へのリベット留めやスポット溶接によって、結構波打っています。蒸機のテンダーでは水槽は水圧で膨らむので、側版はこれまたボコボコしています。その上、蒸機ではボイラーを加熱しますと、熱で罐板が膨張しますので、ボイラーの全長が変わります。サンタ・フェの4-8-4 などは1フィート近くも伸びるそうです。



ですから蒸機は大小を問わず、火室の後端は台枠とは固定されず、スライドするように支えられています。しかし、ボイラーの途中にはコンプレサーや給水ポンプ、砂箱、逆止弁などが吊ったり、結んだり、置かれていまして、それにそれぞれ配管が結ばれていますし、火室の後端にはキャブが取り付けられていまして、これらはボイラーの伸び縮みの影響を受けますから、伸縮の繰り返しで造作全体にゆがみが生じてきます。特にキャブなどは後ろ下がりになる傾向がむしろ普通だそうです。



「C62 はキャブを大きくしたために特にそれが目立った」と元国鉄技師長で文化勲章受章者の島秀雄氏から私は直接伺ったことがありました。蒸気機関車とはそもそも適当な甘さを持った機械なのです。いや鉄道車輛全般がよく見ればプレスから生まれる自動車と違って、図面どおりでない、ひずみ、ゆがみを持った造形物で、そこに光線が反射してできる微妙な陰翳が鉄道車輛を有機的に見せるのです。



プラスティックながらに立体的なディテールだ、DCC による様々なギミックだ、という今日になっても、ブラスモデル―真鍮製模型、が一部の鉄道模型ファンの心をつかんで離さない要因はいくつか考えられるのですが、プレスとかハンダ付けとかの手作業の間に生じる適当な‘甘さ’が実は実車における‘甘さ’を知らず知らずにイメージさせている、ということもあるのではないかと思います。



ブラスモデルのメーカーもその技量はさまざまです。どのメーカーの製品を好むか、もまた人それぞれ、ですが、自分の経験で言うと、画一的にかっちり組み上げるメーカーの製品が永年に亘ってほれぼれするモデルか、というと、必ずしもそうでなく、特に蒸機のモデルにおいてはいくばくかの甘さを残しているモデルにむしろ実車の活きた姿のイメージが重なることが多いように思います。



その観点から、私に「活きた蒸機」をイメージさせてくれるのは1970 年代の初期韓国製品、特にサムホンサの製品です。これらはモーターの貧弱さゆえに「走らないモデル」という不当な評価を受けているのですが、その多くは今日のコアレス・モーターやキャノンの罐モーターに交換しただけで見違えるような走り振りを見せてくれます。そして、このころ一度製品化された機種というのは数が大量に造られたゆえか、その後には再生産されていないケースが、特に中・小型機では意外に多いのです。私の鉄道でも、“ シンデレラ・モデル”とも呼ぶべきでしょうか、近年こうした初期韓国製中・小型蒸機が永年の休車状態から次々と再デヴューを果たし、新鮮な感動を与えてくれています。



現実問題として、ダイキャスト製の動輪輪芯やギヤー・ボックスにも経年変化は無く、トラブルはありません。更新工事で特にやっていることといえば機関車側の絶縁動輪にもフランジの裏に当たるように集電ブラシを設け、集電を確実にしていることでしょうか。これは日本製、韓国製、古い製品、最近の製品を問わず、中・小型蒸機に標準工事として行っています。目一杯に牽引させたとき、テンダーが上り勾配のカーヴで浮き気味になり、集電が不安定になるのを避けるためです。



ブラスモデルの嬉しいところは、このように時代を超えて容易に復活させることができ、新鮮な感動を呼び覚ましてくれることにもありますね。鉄道模型に関しては、皆それぞれ魅力を感じるところ、気にするところは違う。人の評価を鵜呑みにしてはだめです。他人の評価はどうであれ、自分としては眺めるたびにしみじみ心惹かれるものを感じる。それがあなたにとって「いい模型」なのでしょう。何よりも自分の目で判断することが大切だ、と私は思います。



CNR K-5A Van Hobbies Models Samhongsa 1978

カナダ蒸機最大の動輪径を誇るカナディアン・ナショナル鉄道のハドソン(4-6-4)。五大湖周辺の都市間快速に活躍した形式でCNR グリーンの渋い美しさは塗装作業を大いに楽しませてくれた。韓国でのブラスモデル製造が無ければ、このように、ちょっと渋好みの形式などは到底製品化されなかっただろう。製品化をそうした範囲まで拡げた韓国製ブラスの功績は大いに評価して、なお余りあるものがある。この時代の韓国製蒸機には実車に塗装の変わったものやレタリングの美しいものも多く、塗装を楽しむ題材としても貴重だ。CNR の旅客用蒸機は、従来、牽かせるのに適当な客車が無いのが難だったが、近年Rapido 社のプラスティック製流線型客車(CNR の実車がプロトタイプ)が出てきているので、運転的にもようやく陽の目を見るようになってきた。